マイ・ファミリー総合カタログ

家族や子育てについてのカタログ

アサドリのブログ73

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おはようございます。
朝ふっていた雨も今は何とか止んでいます。
今日は少し風が強いですね。
電車に影響がないか心配です。

つい先日の話です。
高校の同窓会の集まりに出てきました。
同窓会といっても、クラスの同窓会ではなく
学校全体の同窓会です。

今までの卒業生が集まる同窓会が毎年6月にあるのですが
今まで一回も行ったことがありませんでした。
それで、話によると
同窓会もどんどん高齢化してきている。ということ。

それで、ことし初めて
「若い世代の風を取り込もう!」
ということで僕にも声がかかりました。

皆さんの高校にもこのような取り組みってありますか?

というか同窓会って参加しますか?

僕も、当時のクラスで中がよかった友達とは
現在でも年に2~3かいぐらいペースで会っています。

しかし、学校全体の同窓会となると
少し気が重いというか
今までの参加する気にはなれませんでした。

例えば、僕なんかが参加するとすれば
一番下っ端なわけですよ。

名だたる諸先輩型がいらっしゃるわけですから。

そんな中、僕がその場にいようものならばどうなるか。

想像に優しいですよね。

そんなわけで、今までは参加したことがなかったのです。

今回は、6月の同窓会前のお試し会みたいなもので
僕よりも下の卒業生も参加していました。

総勢60人ぐらいの集まりになっていました。

そこでは、今回の集まりの趣旨説明があり
今までの同窓会の説明があり
そのあと自己紹介をして
みんなで軽食を食べるという流れでした。

そこで感じたことは

思ったよりも楽しいということでした。

最初はどんな空気なのかと構えていましたが
ふたを開けてみると皆さん気さくな方で
楽しい時間でした。

逆に僕よりも若い世代の子たちと話せたこともよかったです。

僕も今年で34歳になります。

それで、最近は伝統を受け継ぐということについて考えるようになりました。

伝統や文化って誰かが引き継いでいかないと途絶えてしまいます。
しかし、できれば関わりたくはないですよね。

できればやりたくないけど
誰かがしなければいけないこと。

これを引き受けて行くのが大人になるってことかな。

そんなふうに思っています。

今の自分の状況だと、頻繁に参加することは難しいのですが
だけど、自分にできることはしたい。

そう思っています。

それで、ある程度、子どもの手が離れ
時間に余裕ができたら
積極的に参加したいなと思っています。

その第一歩がこの前の集まりでした。

というわけで
自分にできることは何か?
これを常に考えて行動したいと思いました。

今日も幸せな一日を選択できますように。

アドラーならこう言うねッ!「リップスライム SUの浮気について」

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headlines.yahoo.co.jp


芸能界ってどうしてこんなに浮気や不倫が多いのか?

毎日毎日誰かが浮気している。不倫している!
しかし、なぜ、これほどまでに多いのか。
それが商売っていうところもあると思うんです。
つまり、テレビや雑誌で視聴率を稼ぎ注目されるというのも一つの手法というわけです。とにかく、いい事でも悪い事でも注目された方がいい。


注目されること=自分の価値 

 

こういう図式が成り立つ業界なのであろう。
こう考えると、わかりやすいのではないか。
要するに、浮気が悪い事だと分かってはいても、自分が注目されたいがために浮気という手段を選ぶのだろう。

なんせ、注目されないと生きていけないからね。

浮気という手段で注目されるという目的を達成している。

もっとも、正当な手段で注目されたいならば

新曲を出して、売れればいいのだ!そのように努力をすればいのだ。

しかし、その道は選ばず安易に浮気という手段で注目を得ている。


かつて、アルフレッド・アドラーはこういいました。

結婚とは男女が相互尊敬的な
対等の協力関係を築くことである。

日本アドラー心理学会のHPより

 

それを踏まえて、もし、現在にアドラーが生きていたら

きっとこういうことでしょう。

おい、SUよ。いや、浮気男よ!
結婚したら他の女子(おなご)にうつつをぬかしてんじゃねぇぞ!
ちゃんと、おのれ本来の力で仕事で、注目されたらんかいッ!
しっかりと嫁のこと大事にしたらんかい!!!
じゃねぇとよ、嫌われちまうぞッ!
変なところで「嫌われる勇気」なんて持ってんじゃねぇぞっ!

しっかりせんかいっ!
いつまで「常夏の楽園ベイベー」やねんっ!

お前には人を楽しませる才能があるんや。
浮気やのうても、人の注目を集めれる力があるんや。

SUよ。お前にはその力があるんからなっ!

迷惑かけたんなら謝れや。

そんで、本腰入れて音楽活動で花咲かしたらんかいッ!

お前なら大丈夫や。SUよ・・・

しっかりやりいな。

がんばりや~。


*この内容はフィクションです。
アドラー心理学とは関係がありません。
ただ、子育てを通してアドラー心理学を修行中の
白帯アドレリアンのたわごとであり、妄想です。
実際にアドラーが生きていたとしても
こんな関西弁でしゃべることはないと思ってください。

しかし、もしも、この文章を機にアドラー心理学に興味がありましたら
野田先生のアドラー心理学を学ばれることをお勧めします!*

 

性格は変えられる (アドラー心理学を語る1)

性格は変えられる (アドラー心理学を語る1)

 
勇気づけの方法 (アドラー心理学を語る4)

勇気づけの方法 (アドラー心理学を語る4)

 
劣等感と人間関係 (アドラー心理学を語る3)

劣等感と人間関係 (アドラー心理学を語る3)

 
グループと瞑想 アドラー心理学を語る

グループと瞑想 アドラー心理学を語る

 

 

アサドリのブログ72

 

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おはようございます。
今日からまた一週間がはじまりますね。
今朝は少し寒いです。
風が冷たい朝となっています。
これも一週間気合いを入れていけというメッセージかもしれませんね。
今日も頑張って行きたいです。

昨日は少し夜更かしをしてしまったのです。
なので、今、すごく眠たいんですね。
気合いを入れて行くという話をした後なんですが
「めっちゃ眠いんです。

なぜ夜更かしをしたかと言うと
アメーバTVで将棋チャンネルを見ていたからです。
昨日は現在、新人で注目されている藤井4段の対局があったのです。
炎の7番勝負と題された試合の5局目だったのです。
昨日は深浦9段との対局でした。

それで、見ているうちに寝るタイミングを失ってしまいました。

僕は将棋は強くはないのですが
見るのは好きです。

最近そういう人も増えているようですが
僕もその部類に入ると思います。

それで、注目されたその試合ですが
藤井4段が勝ったのです。

すごい新人が表れましたね!

対局はあと2局残っており
最後はレジェンド羽生さんとの対局です。

すごく楽しみですね!

今後の藤井4段に目が離せません。

ということで少し仮眠します(笑)

今日も幸せな一日を選択できますように。

子育てでこどもに伝えたいたった一つのこと。


先月の記事で息子が保育園になじめておらず、いじめられているかもしれない。という記事をかいた。それについて、親として学んだことを書いてみたい。
結果的に、現在息子は保育園に行くのが楽しいようだ。これはよかった。親としては安心だ。ただ、今後はどうなるかわからない。分からないけれど、いつどんな状況にあっても、親としてどういう風に子どもに接していけばいいのか?それが分かった気がする。
ちなみにこれはその時に書いた記事だ

 

family-base-camp.hatenablog.jp

family-base-camp.hatenablog.jp

family-base-camp.hatenablog.jp

 

今振り返ってみて、結果的に良かったが、僕の対応がよかったのかどうかはわからない。考えてみると、息子が楽しく保育園に通うことを選択したということだ。

こどもには選択肢が2つある。一つは保育園に通うこと。もう一つは保育園に通うわないこと。保育園に行くかどうかって、考えてみると親側の都合でしかない。子どもはどうしても行かなければいけないわけではないわけだ。通うことが当たり前になっているが、通うかどうかって本来子どもが決めることだと思っている。

その次の選択肢として、もし保育園に通うのならば、楽しく通うか?楽しく通わないか?この二つも選択できると思う。ここで親として思うのは「どうせ通うなら楽しく通ってほしい。」ということだ。子どもには楽しく幸せになってほしいと願う。親ならみんなそうだ。

こういう考え方がまずあり、その中で現在、息子は「楽しく保育園に通うことを自ら選んだ」と考えている。

つまり、選んだのは息子なのだ。そのために僕がどうこうしたわけではない。

ただ、一つだけ僕から息子に伝えたことがある。

それは「何があっても父ちゃんはあなたの味方だ!」ということだ。

保育園に楽しくいこうが、行くまいが。
友達の仲良くできようができまいが。
ひとりで遊ぼうが、友達の輪に入って遊ぼうが。

そんなことは関係なく、僕は、ただただ、目の前にいるあなたの味方である!

ということだ。

世界中を敵に回しても僕はあなたの味方。

最近はいろんな子育て論が世に出回っている。
いろんな、子育てや教育に関するテクニックのようなものがありふれている。

そんな中、自分のこどもに何をさせようか?と考える親も多いのではないかと思う。

それはいいとおもう。否定するつもりはない。

ただ、少し考えてもらいたいのが

子育てに関するテクニックがあるのだが

その根底には「何があってもあなたの味方!」という決心がなければ

そのテクニックって本当に生きてこないじゃないかって思う。

まずは、親が子どもの味方でいてあげること。

いつでもどんな時でも。

その決心が何よりも重要だ!そう感じたのだった。

子どもを育てていくということは親にも決心が必要だ。

僕は、今回の件で改めてそう感じた。

子どもを持つ親なら、誰もが子どもに幸せになってほしいと願うはずだ。

ならば、そのためのテクニックにすがるのではなく

まずは

世界中を敵に回しても子どもの味方になる!」という決心から始めるべきだ。

僕は、そう思う。

アサドリのブログ71

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おはようございます。
今日は、雨は降っていないようです。
ここぞとばかりにお花見に行ってみようと思っています。
近くにお花見スポットがあるので
そこへ行ってみようと思います。

おとといぐらいから

「理想を持たない」とか

「ありのままをみる」というような内容の文章を書いています。

 

family-base-camp.hatenablog.jp

family-base-camp.hatenablog.jp

family-base-camp.hatenablog.jp

 

 

自分にも他人にも理想を持たず
ただ、ありのままの自分やほかの人を見る。

理想と現実を差し引きしないでありのままを見る。

こういうことが自分にも他人にも大切なのではないかと感じています。

そこを差し引きして考えるとあるキーワードが出てくると思うんです。

それは「反省する」という言葉。

特に学校ではこの言葉大好きですよね。
何かと「反省」を求められます。

ふりかえり、かえりみること。

過去の自分の行動を振り返って現在に生かす。

これは悪いことではないと思うんです。

ですが、過去にとらわれてしまうことってよくないんではないかと思います。

よくないというというか、生きづらいのではないかと思うんです。

過去にとらわれて

「あぁ、あの時こうすればよかった。」

とか

「あれさえなければ、よかったのに。」

など。

こういう感情にとらわれるとすごく生きづらい気がします。

過去にとらわれるとなせ生きづらいのか?

逆に考えて、どうしたら過去にこだわっても幸せに生きることができるのか?

これは、タイムマシーンで過去に戻ることができればいいんじゃないかと思うのです。

タイムマシーンがあれば、過去の問題をその時に戻って解決できるからです。

しかし、残念ながら今のところタイムマシーンはありません。

なので、過去にとらわれても、どうしようもないと思うのです。

だったら、今を生きる方が楽なのではないか?

そう思うのです。

過去にとらわれて、今を見つめることができない。

それって考えてみると

今を見つめたくないから、過去にこだわっている。

そういう風にも考えられるんですね。

反省ってそれが今の自分にプラスの意味づけをできるならいいと思うのですが
それが今の自分にとってマイナスの意味づけになるのなら

反省なんてする必要はないと思うのです。

僕の尊敬する日本のアドラー心理学のパイオニア
野田俊作先生も著書「グループと瞑想」の中でこうおっしゃっています。

 

フロイト依頼、我々はあまりにも人間の暗い側にばかり注目しすぎた。それでは問題は解決しない。人間は、もっともっとちゃんとやっていける。反省さえしなければ。
ー反省すればですか、反省しなければですか。
しなければ。昨日ではなくて今日を見れば。
ー昨日ではなくて明日をではなくて、今日をですか。
昨日はもうない。明日はまだない。あるのは今日だけ。今この瞬間だけ。

 

「グループと瞑想」 P49-50

 

 

今日も今、この瞬間を生きるようにしたい。

過去に生きることを選択せず、理想に生きることも選択せず、

今を生きることを選択したい。

人は自分の生き方を意識的、無意識的にかかわらず

自分で選択できるんです!

 

今日も幸せな一日を選択できますように。

アサドリのブログ70

 

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おはようございます。
今日はどしゃぶりの雨ですね。。。
桜もこれで散ってしまうでしょう。
この土日も天気が悪いみたいなので
お花見は行けそうにないですね~。
ということで、エア花見でもしてみしょうか?
そんなことを思っています。

昨日はこどもにも自分にも理想像を持たないという内容の記事を書きました。

 

family-base-camp.hatenablog.jp

 

最近、これってすごく大事なことだと思うようになりました。
最近ということは以前はそうではなかったということですね。
じゃあ、以前はどう思っていたのか?というと
やはり
理想に向かって絶えず努力をしていくのが吉」
そんな感じで思っていました。

もちろん、これが悪いというわけではないんです。

そういう自分も好きですからね。

だけど問題は、理想の自分があり
その理想の自分から今の自分を比べて
できていないところばかりに注目して自分を追い込む。

これを子育てに当てはめるなら
理想の子ども像を作っり
そこから今の子どもを比べて
できていないところばかりに注目し子どもを追い込む。

こういうことは、誰にとってもプラスにならないよ。

ということが分かったという感じです。

これは誤解しないように言っておきたいのですが

けっして理想を持つことが悪い

といっているのではないんです。

そうではなくて、あまりにも理想に心を奪われすぎると
苦しくなってしまうし、苦しくさせてしまう。

そんなふうに感じるようになりました。

僕が尊敬する日本アドラー心理学の第一人者
野田俊作先生の著書「グループと瞑想」にこうかかれています。

◆現実の自分を生き抜く
私はそう思っています。「目標追求がある限り劣等感がある」というのと、「渇愛が苦の原因」というのは、だから、同じことを言っている。目標追求をストップさせると苦はなくなる。人生目標とは、すなわち理想の自分のことでしょう。だから、人生目標がなければ劣等感はないことになる。
ー現実の自分だけがあって。理想の自分のことを考えなくなるんですね。ー
その言い方はとても正解です。理想の自分というのは「考え」の中にしかないんです。現実に存在するのは、この現実の自分だけ。瞑想的になると「今ここで」存在しているこの現実の自分だけが見える。理想の自分なんて、ただの幻想であることがわかる。幻想でしかない理想と比較して、劣等感を感じている自分が馬鹿馬鹿しくなる。そして笑っちゃう。

グループと瞑想 P131-132

 

理想という幻想にとりつかれて
いったいどれだけの人が道に迷い不幸になるのでしょうか。

僕たちはこどものころから親や学校の先生から
理想を持ちなさい
ということ言われて育っています。

もしくは、直接的には言われなくても
そういう雰囲気のなかで育つと
自分の考え方もそのようになるし、
考えがそうだと他人にもそういう行動をとってしまいがちです。

このあたりでいったん理想というものを見直してみませんか?

本当に理想の自分や理想のこども、理想の夫や理想の妻。
理想の恋人や理想の上司。理想の職場や理想の友達。理想の生き方や理想の人生。

そういうものが本当にあるのかどうか。

ひょっとするとそんなものはなくて

それは、以外と自分の頭の中にしかないかもしれませんよ。

理想という霧を払ってみる。

そうすると「ありのまま」が見えてくるかもしれません。

そんなに悪くないかもしれませんよ。

ありのままの世界もね。

 

今日も幸せな一日を選択できますように。

アサドリのブログ69

 

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 おはようございます。

今朝は少し肌寒く感じる早朝です。
今日は家を出るときにお隣りさんにばったり遭遇しました。
それで「すごい早いね!」といわれたのですが
「あなたもね!」と思いつつ愛想笑いをしました。
お互い様ですね(笑)

子育てをしていて学んだことの一つに
「理想のこどもを像を持たない」ということがあります。
これは、例えば、勉強ができるこどもであったり
スポーツができるこどもということです。

親が理想とするこども像があると
それを求めてこどもを育てていくことになります。

つまりは、勉強ができるこどものときは「いい子で」
勉強ができなければ「悪い子」
スポーツができれば「いい子」で
スポーツができなければ「悪い子」

こういうふうに理想のこども像にあてはめて
「できる」「できないか」によって
いい子か悪い子か決めていくことになります。

それを決めるために、賞や罰を使い
理想のこどもに近づけるように誘導していくことになりそうですね。

しかし、考えてみると、それって幸せなことでしょうか?

何かの基準にこどもをあてはめて
そのラインより劣っているとダメという考え方や生き方って

幸せな生き方でしょうか?

こどもって想像力が半端ないと思うんです。
だいぶ前のテレビCM、たしか公共広告機構だったと思いますが

「こどもから想像力を奪わないで下さい」

というメッセージのCMがありました。

僕はこれがすごく印象に残っていました。

まだ、全然、結婚もする前だったのですがね(笑)

それで、いま、書きながらそのCMのことを思い出しました。


[AC CM]公共広告機構 Imagination - 子供から想像力を奪わないでください

 

本当にその通りだと思います!

「できた」か?「できなかった」か?

このせまい判断基準を超えたところに

豊かな想像力が広がっている。

できるか?できないか?
それにこだわる気持ちを捨て去ったときに

無限の可能性がある。

そんなふうに思います。

理想のこども像を持つと言うことは
こどもの生きる世界をせばめてしまうかもしれません。

そういうことを子育てから学びました。

学んだ。。。

そう、学びました。

何を学んだか?

これって自分にも当てはまるということです。

理想のこども像を持つ必要がないように
理想のじぶん像を持つ必要もないと思うんです。

理想のじぶん。

もっとお金を持っているじぶん。
結婚しているじぶん。
もっと優雅に暮らしているじぶん。

理想のじぶんと、今現在のじぶん。

これを比べて、できているか?できていないか?判断し
理想の自分に比べてできていない部分を
わざわざ見つけて理想のじぶんを追い求めていく。

追いつけそうですかね。
だいぶ前を走る理想の自分に。

そうではなくて、今、この道を走っているじぶん。

前を走るじぶんではなく
今のじぶんをちゃんと見てあげる。

これって大事なことだと思います。

理想のじぶんではなく
今のじぶんのことを理解し分かってあげる。

今の「じぶん」のことを「自ら」「分かって」あげる。

その時に初めて見えてくると思いますよ。

本当の「自分」がね。

そういうことを考えました。

 

今日も幸せな一日を選択できますように。