アドラーパパの家族会議。

家族の、家族による、家族のためのブログ

アサドリのブログ70

 

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おはようございます。
今日はどしゃぶりの雨ですね。。。
桜もこれで散ってしまうでしょう。
この土日も天気が悪いみたいなので
お花見は行けそうにないですね~。
ということで、エア花見でもしてみしょうか?
そんなことを思っています。

昨日はこどもにも自分にも理想像を持たないという内容の記事を書きました。

 

family-base-camp.hatenablog.jp

 

最近、これってすごく大事なことだと思うようになりました。
最近ということは以前はそうではなかったということですね。
じゃあ、以前はどう思っていたのか?というと
やはり
理想に向かって絶えず努力をしていくのが吉」
そんな感じで思っていました。

もちろん、これが悪いというわけではないんです。

そういう自分も好きですからね。

だけど問題は、理想の自分があり
その理想の自分から今の自分を比べて
できていないところばかりに注目して自分を追い込む。

これを子育てに当てはめるなら
理想の子ども像を作っり
そこから今の子どもを比べて
できていないところばかりに注目し子どもを追い込む。

こういうことは、誰にとってもプラスにならないよ。

ということが分かったという感じです。

これは誤解しないように言っておきたいのですが

けっして理想を持つことが悪い

といっているのではないんです。

そうではなくて、あまりにも理想に心を奪われすぎると
苦しくなってしまうし、苦しくさせてしまう。

そんなふうに感じるようになりました。

僕が尊敬する日本アドラー心理学の第一人者
野田俊作先生の著書「グループと瞑想」にこうかかれています。

◆現実の自分を生き抜く
私はそう思っています。「目標追求がある限り劣等感がある」というのと、「渇愛が苦の原因」というのは、だから、同じことを言っている。目標追求をストップさせると苦はなくなる。人生目標とは、すなわち理想の自分のことでしょう。だから、人生目標がなければ劣等感はないことになる。
ー現実の自分だけがあって。理想の自分のことを考えなくなるんですね。ー
その言い方はとても正解です。理想の自分というのは「考え」の中にしかないんです。現実に存在するのは、この現実の自分だけ。瞑想的になると「今ここで」存在しているこの現実の自分だけが見える。理想の自分なんて、ただの幻想であることがわかる。幻想でしかない理想と比較して、劣等感を感じている自分が馬鹿馬鹿しくなる。そして笑っちゃう。

グループと瞑想 P131-132

 

理想という幻想にとりつかれて
いったいどれだけの人が道に迷い不幸になるのでしょうか。

僕たちはこどものころから親や学校の先生から
理想を持ちなさい
ということ言われて育っています。

もしくは、直接的には言われなくても
そういう雰囲気のなかで育つと
自分の考え方もそのようになるし、
考えがそうだと他人にもそういう行動をとってしまいがちです。

このあたりでいったん理想というものを見直してみませんか?

本当に理想の自分や理想のこども、理想の夫や理想の妻。
理想の恋人や理想の上司。理想の職場や理想の友達。理想の生き方や理想の人生。

そういうものが本当にあるのかどうか。

ひょっとするとそんなものはなくて

それは、以外と自分の頭の中にしかないかもしれませんよ。

理想という霧を払ってみる。

そうすると「ありのまま」が見えてくるかもしれません。

そんなに悪くないかもしれませんよ。

ありのままの世界もね。

 

今日も幸せな一日を選択できますように。