発酵考察。
発酵に興味があります。それは、発酵食品をいろいろ作ってみたいという思いからです。
前に2度、味噌を作ったことがあります。
今年は、3回目の味噌づくりに挑戦します。
他にも面白そうな発酵食品がたくさんあります。自分たち家族に合いそうなもので、みんなが作ってみたい!と思えるようなものにチャレンジして作りたいと思っています。
その昔は、発酵というものが生活の一部になり、ご飯を炊くように、発酵食品を作るということが馴染んでいました。
でも、時がたつにつれて、発酵食品を作る技術というものが忘れ去られてしまいました。
昔は、味噌なんてどこの家庭でも作っていたそうです。
だけど、今ではほとんどの人が味噌をスーパーで買っていますよね。
僕は2回味噌を作ったことがあるのですが、味噌づくりは簡単です。まだ2回しか作ったことがないのに、何を言っているんだという話ですが、、。
でも、ホントに簡単なのです。
味噌づくりに作業と言えば、8割がたか「待つ」という作業です。
どれぐらい待つか?
あみんかっていうぐらい待ちます。
待って待って待って、待ち続けて半年後にいい味噌ができるんです。
ここがポイントですね。
現代の人って、「待つこと」が苦手ですよね。なにかせわしく動いていないと落ち着かない。
だから、味噌づくりって、もしかすると苦手なのかもしれません。
だけど、一見無駄なようなこの「待つ」という時間ですが、これが本当は大切なんだと思います。
待っている時間がもったいない。だから、スーパーで出来上がった味噌を買う。
しかし、それで失ってしまった代償ってなんでしょう?
それは、健康であったり、文化であったり、もしかすると、『なんでも自分でやってみよう!』という精神なのかもしれません。
本当に人任せになってしまいましたね。
だからこそ、僕はもう一度『発酵』について考え行動することで、失ってしまったものを取り戻したいと考えるのです。
どうせ考えるなら、家族みんなで考えて、行動していこうと思いました。
あっ、最後になりましたが、この本大好きです。
世のオヤジへ忠告!「これを読んだら、家事は買ってでもしとけッ!」
お久しぶりです。
ここ最近、少しは暖かくなってきましたね。もうすぐそこまで春が来ているような気がして嬉しいです。
さて、最近、こんな文章を目にする機会がありました。
それは、上原隆さんという方が書いた、『別れた男の家事』です。
↑この中に入ってます↑
まず、上原隆さんは「ノンフィクションコラム」というスタイルで文章を書いています。「ノンフィクションコラム」とは"無名の人が生活の中でグッときた話、実際にあった話"ということだそうです。
この「別れた男の家事」はいくつかの短編ノンフィクションコラムが集まった作品です。
何らかの形で離婚することになり、その後、どうやって家事に取り組んでいるのか?がリアルに綴られています。
これがまた、めちゃめちゃおもしろいですね。
上原隆さんの書く、哀愁漂う文章。そして、最後には一筋の救いが待っている文章。
僕はどうやら、ドハマりしたようです。
中でも、この話がお気に入り。
『パーティー大好き』
どんな話か、どうしても紹介したいのです(笑)
簡単に書くと、
主人公の高橋啓(46歳)は、とても几帳面で、小奇麗で、しかも器用な男です。それは服装にも現れているし、家事にもこだわりがあるようです。
家の中もまるで、モデルルームのように整っています。また、家事に関してもこだわりがあり、使い古しの歯ブラシを流しと風呂場においておき、蛇口の裏などを磨くとのこと。また、ミニ掃除機も完備していて、ちょっとしたごみを見つけたときなんかササッときれいにしてしまうそうで。。。
すばらしいですね!
ただ、この完璧で几帳面な性格は、結婚には向かなかったようで、このクオリティを当時の奥さんにも求めていたそうです。
当時は、家事には全然手を出さず、だけど、口の方はどんどん出し、奥さんの作ってくれた料理に文句を言っていたそう。
これでは、結婚生活は続けれないですね。
そして、独身となり、今では自分の綺麗な家にお客さんを招いてパーティーをするのが楽しみとのこと。
来てくれたお客さんへのもてなしはこんな感じです。
「この前はね。前菜で、なすのマリネ、トマトの上に山羊のチーズ、モッツァレラって言ったかな、それをのっけて手製ドレッシングをかけたもの、これもおいしいんです。それから、イカのトマトソース煮、ミネストローネースープ。オーブン物でポテトとミートソースとチーズを重ねて焼いたもの。まぁ、それを肉と称して食べてもらって、最後に我が家ではスパゲッティなんです。三種類ぐらい作るんです。にんにくと赤唐辛子、イカをからめたもの、子どもがいたらミートソースとかね。お客はワインを一本持ってくるのが義務なんです。」
うーん!招かれたい(笑)
かなり料理ができる男の人のようです。高橋さんは。
これだけ、家事にも料理にもこだわりがあり、自分で思うようにできるとそりゃ誰かを招いてパーティーをしたくなりますよね?
ただ、筆者が問いかけたこの質問への答えが、、、
とてもグッとくるんですッ!!!
長いけど、また引用。
パーティーが楽しいのは、やはり、食べさせる相手がいるからじゃないだろうか。
「料理なんか凝ってすごいもん作っちゃったりする時があるんです。その時、ひとりっていうのは、けっこう淋しい。
~中略~
たまに、ステーキなんか、いい肉買ってくるでしょ。ジャガ芋もちゃんと面取りしたヤツをつけて、人参もちゃんと茹でててね、クレソンなんかも添えて、サラダもつくり、スープもつくり、いいワインを置いてね、ナイフとフォークをそろえて、さて、とテーブルの前に座ったりしたら・・・・ダメですね。突然、涙が出そうになります。」
窓の外が夕焼けになり、部屋の赤い壁を赤く染めている。私は立ちあがってお礼を言った。高橋も立ちあがると、玄関まで送ってくれた。
このあと、今晩は何を食べるのだろう?
「冷蔵庫に鮭の切り身があったから、あっさりとお茶漬けでも食べようかな」
うわぁ、、、いいですね。。。
何という哀愁!!!
この文章がとても素敵で、何度でも読み直したくなるようです。
そして、いろいろ考えさせられますね。
例えば家事。
家事って、よく考えてみると、結婚していようが、独身だろうが、かならず誰かがしなければいけませんよね。
だけど、不思議と、結婚しているときは「家事」っていうけど、独身の時は「家事」とは言わないなぁと思いました。
僕は、ひとり暮らしを経験していますが、その時は「家事」とは言わず、「炊事洗濯」って言ってました。
なんで「炊事洗濯」だったのか。これに理由はありません。
ただ、なんとなく推測するに、男の一人暮らしの手前、「家事」と呼べるほどの仕事をしていないので、それに代わる言葉として、「炊事洗濯」にしたのではないかと思います。
そう考えてみると、あれから僕も結婚して、今は「家事」も積極的に参加している方だと思います。
結婚してからは「炊事洗濯」ではなく「家事」に参加をしています。
これの何が違うか、と考えてみると、
「炊事洗濯」は自分のためにするもの。
「家事」は誰かのためにするもの。
そんな気がします。
もちろん、ご飯を作ったり、洗濯をしたりと、仕事の内容は同じです。
だけど違うのは、そこに”自分以外の誰かがいてくれるのかどうか”です。
家の中で自分以外の誰かのための仕事がある。
家の中で自分以外の誰かの中での仕事が自分に与えられている。
今の自分の状況って、すごくありがたいし、ステキなことです。
そう感じました。
だから、世の中のお父さんたちへのメッセージ。
家事は、自分に与えられた大切な役目と心得て、
進んで引き受けましょう!
だって、よく言うじゃないですか。
「若いころの苦労は買ってでもしろッ!」って。
さもなくば、そのうち、いくらお金を払っても、させてもらえなくなるでしょう。
それはつまりこういうこと。
「洗濯干しても、干されるな!」
男はつらいよ。。。ね? (笑)
「サピエンス全史を電車の中で読みながら考えたこと。」
電車の中で、サピエンス全史の下を読んでいます。この本が面白いことは、これまでにも書いてきました。
family-base-camp.hatenablog.jp
family-base-camp.hatenablog.jp
僕は遅読派です。ですが、この本も、いよいよ佳境に入ってきました。
残すところ、あと、40ページほどです。
今日読んだ内容はこんな感じ。
家族・コミュニティの崩壊
↓
幸せって何か?
↓
文明は人類を幸せにしたのか?
家族やコミュニティがなぜ崩壊したのか?それは人類にとって幸せなことなのか?そもそも、幸せってどうやってはかるのか?例えば、中世の人たちは幸せだったのか?不幸せだったのか?それよりもっと前の人たちは幸せだったのか?文明やテクノロジーは僕たちを幸せにしたのか?
それらは、これからも人類を幸せにするのか?
それとも、これからも人類を不幸にするのか?
ところで、今のあなたの人生は幸せですか?
☆死ぬ幸福、死なない不幸☆
ちょっと前に、某テレビ番組でおもしろいことをやっていました。
それは、「トランスヒューマニズム」という考え方が徐々に広まっているということです。
トランスヒューマニズム。
トランスヒューマニズム(英: Transhumanism)は、新しい科学技術を用い、人間の身体と認知能力を進化させ、人間の状況を前例の無い形で向上させようという思想である[1][2]。省略して>HやH+と書かれる場合もある。日本語では「超人間主義」などと訳される[3]。
By Wikipediaより抜粋
その、某「信じるか信じないかはあなた次第」的な番組では、こんなこと言っていました。
人間と機械(AIやロボット)が一体化していく
これまでは漫画の世界でしか見たことがなかったですが、例えば、脳だけ人間で、あとはロボット、みたいなこともゆくゆくは実現が可能だということです。
もし、それが実現したら、次に目指すのは何でしょうか。
そう、不老不死です。実際にこの団体はテレビに出てインタビューも受けていました。
この団体が何をしているのか。人体をいったん冷凍保存して、しかるべき未来によみがえらせる。ということをするそうです。現在でも、150体近くの人体が保存されているとのこと。
150の人体が復活を待っているのですね。
それで、これはその時のインタビューで、答えていた内容なのですが、
「ゆくゆくは脳のだけを保存し、ロボットに結合することができる」
つまりは、不老不死ですね。体はロボットになっても、頭はだけは永遠に生き続けることができる。
身体は人体ではなくなるけれど、意識は永遠に生き続けることができる。
つまり、死なないということですね。
そんな漫画みたいなことができるのか?と思ってしまうのですが、アルコー財団の所長があまりにも自信満々にしゃべるもので、「おぉ、たぶん本当なんだろうなぁ~」と思わざるを得ません。
そこで、みなさんに質問なのですが、もし、このような不老不死のシステムが完備されたとしたら、、、
それを受けたいですか?
つまり、体はロボットとして、永遠に生き続けたいですか?
これについて、「サピエンス全史」著者は書いています。
科学があらゆる疾病の治療法や効果的なアンチエイジング療法、再生医療を編み出し、人々がいつまでも若くいられるとしたらどうなるか?おそらく即座に、かつてないほどの怒りと不安が蔓延するだろう。
新たに奇跡の治療法を受ける余裕のない人々、つまり人類の大部分は、怒りに我を忘れるだろう。歴史上つねに、貧しい人や迫害された人は、少なくとも死だけは平等だ。金持ちも権力者もみな死ぬのだと考えて、自らを慰めてきた。貧しい者は、自分は死を免れないのに、金持ちは永遠に若くて、美しいままでいられるという考えには、とうてい納得できないだろう。
だが、新たな医療を受ける余裕のあるごくわずかな人々も、幸せに酔いしれてはいられない。彼らには、悩みの種がたっぷり生じるだろう。新しい治療法は、生命と若さを保つことを可能にするとはいえ、死体を生き返らせることはできない。愛する者たちと自分は永遠に生きられるけれど、それはトラックに轢かれたり、テロリストの爆弾で木っ端微塵にされたりしない場合に限るのだとしたら、これほど恐ろしいことはないではないか!非死(アモータル)でいる可能性のある人たちはおそらく、ごくわずかな危険を冒すことさえもさけるようになり、配偶者や子供や親しい友人を失う苦悩は、耐え難いものになるだろう。著書:サピエンス全史(下) P225
なんだかなぁ~(笑)
どっちがいいのか分からないけれど、僕みたいな一般ピーポー死んだときのことを考えずに、今を一生懸命生きるだけですね。
それで幸せですし。
だから特に延命とか、不老不死とかはどうでもいいですね。
ただ、気になるのは、僕は電車の中でこの本を読んでいます。
4人掛けの席に向かい合って座っています。
それで、僕の向かい側に座っている女子高校生が、こんな表紙の本を熱心に読んでいるおっさんを見てどう思っているのか?
そっちの方が気になります。(笑)
だけど、目の前の女子高生よ!
安心してくださいッ!
はいてます・・・・・!?
はいてへんやんっ(笑)!
「大江千里さんに学ぶ"格好悪いふられ方"」
47歳でキャリアを捨てて単身アメリカへ行き、ジャズを志す。
人生は限りがある。だからやりたいことをやるために、これからの人生を使おう。そういう決断を47歳でした。そのためにすべてを一度捨てた。
これは大江千里さんがインタビューの中で答えた言葉です。
グッときますね。
正直、大江千里さんと言えば「格好悪いふられ方」しか知らない。
いや、もう少し言うと、「格好悪いふられ方」は知っているけど
その後どうなったかは知らなかったです。
現在は、単独でアメリカのニューヨークへわたり、ジャズミュージシャンとして活躍しているそうです。
国内ポップミュージック界でのキャリアを捨て、47歳でジャズの名門・米ニュースクールに入学。現在はニューヨークを拠点とするジャズミュージシャンで、自身のレーベル・PNDレコーズを「ひとりビジネス」として手がける経営者でもある。
そのかたわらで、アイドルの楽曲コンペにも精力的に参加されているそうで・・・
実は僕、今をときめくアイドルの楽曲コンペで全部落ちてるんですよ。
今現在、全部落ちています。基本的には書かないつもりなんですが、いくつかは「落ちるとしても絶対やるべき」というコンペがあるんです。それは自分が成長するためにやるんですね。
厳しい世界ですね。
ですが、コンペには落ちても、自分自身が成長するためにやる!という姿勢に感服します。
インタビューの中でも、僕が一番、心をつかまれたのはこちらです。
もし僕が二十歳だったら、迷いはあったと思います。だって、「あれもできる、これもできる」って残酷なくらい選択肢があるから。
でも僕はもう二十歳じゃない。ピアノを練習しすぎるとアスリートと一緒で弾けなくなるから、冷やして、温めて、電気を通してと、いろんな治療をして指を大切にしながら、自分が少しでも美しいと思うものを作る。
それを弾いて、伝えるために必要なエネルギーを、糠床(ぬかどこ)で寝かせるみたいにして自分で増やす。そうしないとエネルギーが腐って、もう終わっちゃうから。昔みたいに、毎日血尿が出るまで走ります!ってことは絶対にしない。だから逆にいうと、こういうふうにして生み出した曲を聞いてもらって、拍手をもらえたら、もうこのうえない喜び。スタンディングオベーションなんて起こったら、手を合わせたいぐらい。
なんてステキな言葉!
なんてステキな人生感なんだと思いました!
大江千里さんも言っているように、20代のころは少々無理ができる年代だと思います。むしろ、無理しかできないですよね。がむしゃらに行動することでしか、自分をアピールできない。
それが20代の特権でもあり、すべてだとも思います。
しかし、30代、40代になるとそうもいきません。
僕は今年35歳になります。
これからだんだんと、無理もなるし、逆に言うと力の抜き方を覚えるんじゃないかなぁと感じています。
自分自身が30代も半ばになって、これからの生き方について考えるようになったのですね。
もう、20代のように、力任せに、パワフルに、無理はできない。
それは一言でいうとこういうことだと思います。
「自分の限界を知る」
これって、人生にとって大切なことなんじゃないかなぁと感じるんです。
だって、考えてみてください。
限界を知らない人生ってどうでしょう?
人間は絶対に年老いていきます。自然の原理です。
それにあらがって、限界を突破しようとする。
確かにそれは力強い生き方だと思います。
だけど、いつかは、超えられない壁が現れるんです。
そのときに、どうするか?
そこで、自分という人間のほんとうの姿が見えるんだと思うんです。
「自分自身の限界をちゃんと知り、等身大の自分でチャレンジすること」
なにも、世間がアッと驚くようなチャレンジをしなくてもいい。
等身大の自分より少しだけ先を見ればいい。
世界中の誰もがうらやむような絶世の美女とつき合うことだけがすべてではない。
でも、告白しないとふられることもない。
大江千里さん、あなたはとても格好いいです。
これからも、あなたのチャレンジを応援したいです。
「ドンジャラでわかった娘の長所」
わが家では、ドンジャラが流行しています。
ドンジャラというのは、バンダイが発売しているボードゲームで、簡単に言うと、子どももできる麻雀という感じです。
しかし、ほかにもいろんな種類のドンジャラがあります。
ドンジャラの基本的な遊び方は、同じ絵柄の牌を3つずつ3セットそろえることになります。
ねっ、すごく簡単な麻雀でしょ?
これがとても面白いのです。
子どもはもちろんのこと、大人もすごく楽しめています。というか、むしろ大人の方が面白がっているかもしれません。
family-base-camp.hatenablog.jp
ドンジャラといっても、遊び方は50種類あります。
基本的な遊び方の他にも、スゴロクにして遊ぶこともできるし、おはじきのように遊ぶ遊び方もあります。
そして、先日、子どもたちとドンジャラで神経衰弱をして遊んでいました。
そのときに、気づいたことがあったのです。
それは、「3歳の長女に強い」ということです。
ちなみに、僕は昔から神経衰弱が苦手です。
どこに何があるのか覚えられないし、頭がこんがらがってきます。
ですが、どういうわけか長女は、次々と絵柄をそろえていくのです。
これにはびっくりしました。
まさか、こんなに神経衰弱が得意とは・・・
たぶん、長女は記憶力がいいのだと思います。
これも、ドンジャラで神経衰弱をしなければ発見できないことでした。
もはやドンジャラはただの遊びではなく、子どもの能力発見のツールとしても使えると思ったのでした。
ですが、僕は大人げないことに、神経衰弱でも負けると悔しいと思うのでした(笑)
どんだけ必死やねんッ(笑)
↓我が家のドンジャラ↓
「妖怪を見たことがない?だからこそ信じるんじゃないですか!」
「ゲゲゲの鬼太郎」
今年の4月から、「ゲゲゲの鬼太郎」の新バージョンが始まります!
これはとてもいいですね~♪楽しみです♪
鬼太郎のHPを見てみると、こんなメッセージが書かれています。
「見えてる世界がすべてじゃない」
そうですね。
人間とあの世をつなぐ、妖怪の世界というのはあるような気がします。
もちろん、ないかもしれません。
証明はされていませんからね。
ただ、あると思って生きるのと、ないと思って生きるのと
どちらが、「おもしろい人生になるか」考えるといいのではないかと思うんです。
ゲゲゲの鬼太郎の生みの親、水木しげる先生の著書「人生をいじくり回してはいけない」にもこう書かれています。
妖怪もいることの幸せ
世界中どこへ行っても、ノッペリして均質になってしまった。私が憧れていた南方の楽園にも、文明が入り込んできてしまっている。
そうなったら、やっぱり妖怪のことを思うのは仕方ないじゃないですか。
ニンゲンが考え出した価値観に縛られて、追い立てられるように暮らしていては、昼寝もできやせんでしょう。
妖怪たちがいて、金がないからといって一家心中するようなこともなく、ノンキに暮らしていると想像してみなさい。著書:人生をいじくり回してはいけない P211
見えている世界だけしか信じないのなら、人生は窮屈になってしまいます。
だけど、見えない世界もある、もしくは、あるのではないか?と思うことで、世界はより一層彩り豊かになるのではないでしょうか?
そんな気がします。
「もし、子どもがインフルエンザにかかったら」
5歳の長男がインフルエンザにかかりました。火曜日から熱が出て、今日ようやく熱が下がりました。
今は元気です。
それで、ほかの家族も今のところ発熱はありません。
つまり、インフルエンザの猛威を最小限の被害で食い止めたわけです!
今日は、その際に心がけたことをシェアします。
☆インフルエンザ包囲網 その1☆
「手洗いのタオルは別々」
これは鉄則ですね。うちの家はトイレがと洗面台が一つしかありません。
なのでどうしても、みんなで共有することになります。
インフルエンザの感染ルートって何でしょう。これは飛沫感染だと言われています。
唾液や、鼻水などをシェアしてしまうと、感染の恐れがあるということですね。
これが起こりやすいのが、「同じタオルをシェアする」という行為で起こりやすくなります。
トイレに行った後の手。この手には、様々なウイルスが付着していますね。
とくに、インフルエンザの時には、注意が必要です。
☆インフルエンザ包囲網 その2☆
「寝る向きを考える」
わが家は普段、家族4人が川の字になって寝ています。
まぁ、4人なので、一本多いのですが・・・
それで、寝るときにも注意が必要。
例えば、寝ている最中に咳やくしゃみをすると、周りのみんなにインフルエンザウィルスをシェアしてしまう結果となります。
なので、我が家では
1、インフルエンサーの長男とは布団を離す。
2、申し訳ないけど、長男に足を向けるようにして寝る。
この2点を気を付け、対策をしました。
もちろん、寝るときにもマスクは必着。
☆インフルエンザ包囲網 その3☆
「食事も別々の部屋」
食事は気を付けないと、一番インフルエンザウィルスをシェアしてしまうという結果になりがちです。
食事中、お話をしている最中にも、インフルエンザウイルスは飛び交っています。
それが、例えばおかずなどに付着して、他の人が口にすると、、、
インフルエンザウイルスのシェア完了!
いいね!が付きます(笑)
なので、長男には悪いけど、食事も別々の部屋でとりました。
☆健康で元気なことのありがたさよ☆
現在、インフルエンサーだった息子は、熱も下がり、元気を取り戻しております。
しかし、2~3日前は、とてもぐったいしており、当然ながら元気もありませんでした。
いつもは元気が当たり前のように感じますが、病気の時になると
「元気なのは当たり前ではないんだなぁ」
ということを感じました。
病気をしてしまうことは仕方がないことです。
だけど、日々健康には気を付けて
できるだけ健康に毎日を過ごしたいと思いました。