マイ・ファミリー総合カタログ

家族や子育てについてのカタログ

アサドリのブログ17

f:id:solidka2yuki:20170212075122j:plain

おはようございます。
今朝は、天気も落ち着いて、ある意味で普通の冬らしい朝ですね。
まだ、寒くて外を見ていないのですが、窓から注ぐ光の様子をみて
そのように思います。


今日は、とあるアドラー心理学のワークショップに行ってまいります!
僕は定期的に行われるアドラー心理学の勉強会に参加しているのですが
去年の12月と今年の1月は参加できませんでした。
久々のアドラー心理学の勉強なので
今日はすごく楽しみなのです♪
まる一日かけてのワークショップになります。
アドレリアンの皆さんとアドラー心理学にどっぷりつかれる一日ですね。

しかし、逆に言うと
家族と過ごせる日曜日の時間をアドラー心理学でつぶしてしまうわけです。

普段、日曜日は家族でどこかに出かけることが多いんですね。
それは、僕自身が子どもたちをどこかに連れて行ってあげたいと思うし
妻もどこかに行くことで気分転換になると思っているからです。

しかし、今日はそれができません。

僕はアドラー心理学に以外にも
これまでいろんな勉強をしてきました。(大した勉強ではないですが。。。)

例えばファイナンシャルプランナーの資格をとる勉強とか
傾聴ボランティアに関する講座を受けたりなど。

そのほかにも興味がある講座やワークショップには
進んで参加する方だと思っています。

なので、今回のように講座で休みがまる一日つぶれるということもよくありました。

もちろん、勉強することが何かの役に立てる!と思ってやっているわけですが

こういうとき、いつも思うのは

理解してくれる家族がいるから勉強ができている!

ということです。

これを努力という言葉に置き換えてみましょう。

理解してくれている家族がいるから努力ができている。

よくこんな言葉があります。

努力は報われないかもしれない。
しかし努力をしないと結果は出ない。

 

 しかし、少し考えてみると

努力って誰かのおかげでできていると思いませんか?

もしそうだとすると
努力に結果を求めること自体ナンセンスです。

努力をさせてもらっている、そのこと自体が喜ばしいことですよね?

例えば、僕なら家族の理解があるから努力をさせてもらえているし

家族がいない人でも
この人のために」と思える対象がいるから努力ができる。

つまり

他の誰かのおかげで努力をさせてもらっている。

そんな風に思うんです。

努力する側ももちろん素晴らしいと思うのですが

その一方で忘れてはならないのが

努力を優しく見守ってくれている誰かの存在

なのではないでしょうか?

さぁ、時間がそろそろなくなってきました。

今日はアドラー心理学について勉強するチャンスをもらえたので

しっかり勉強し、学んだことを

家族や僕と関わるほかの誰かのために
役立てていければうれしく思います。

今日も幸せな一日を選択できますように!