発酵と思考6『発酵と子育て』
子育てと発酵は似ている。
それは、「ほっとけば育つ」ということだ。
例えば、味噌の発酵を考えてほしい。
味噌の作り方は大豆を煮て潰し、塩と米麹を混ぜ、あとは寝かせるだけだ。
そしたら、半年後、あら不思議お味噌になっている。(途中一度だけ天地返しをする)
味噌づくりで最大の仕事は何か?
それは「待つ」という作業だ。
味噌づくりの98%は待つという作業である。
いやいや、「待つ」といよりは「見守る」という方がいいかもしれない。
ただ待つだけじゃなく、いい味噌ができるように願いながら「見守る」のだ。
子育てもこれに似ていると思う。
子育ても親の仕事の98%は「見守る」ことのような気がする。
しかし、親は「見守る」のではなく「手塩にかける」のである。
なぜ、手塩にかけてしまうのか?
その理由の一つは、「手塩にかければかけるほどいい子が育つと思っている」からだ。
それで、“しょっぱくなりすぎる”ぐらい塩を入れる。
はたして、手塩にかければかけるほど子どもは、自立し社会に役立つ大人に育つのだろうか?
もちろん、これは親が子育ての目標をどこに置くか?で変わってくると思う。
だが、子どもがちゃんと自立し、社会の役に立てるような人間になるということは
どの親も目標としているのではないか?
だとすると、塩を入れすぎるのはよくない。
なぜならば、塩の入れすぎは
いい菌も殺してしまうからだ。
時として、塩(ナトリウム)の過剰摂取は
毒となる。
ところで、あなたは、、、毒親になりたいか?
発酵と思考5『すごい発酵みーつけた。』
発酵っていうと、一般的には納豆とか、味噌ではないか?
これはどのように発酵させているかというと、大豆に菌を混ぜているのだ。
これが、日本で一般的な発酵ではないだろうか?
しかし、発酵の世界は実に奥深いのである。
僕は、すごい発酵を見つけてしまった。
それは、この本の中から見つけたのだ。
発酵の技法 ―世界の発酵食品と発酵文化の探求 (Make:Japan Books)
- 作者: Sandor Ellix Katz,水原文
- 出版社/メーカー: オライリージャパン
- 発売日: 2016/04/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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これは、かなり分厚い発酵の本だ。僕が持っている本の中で一番専門的な本でもある。
その中に、こんな発酵があった。
『口噛みジャガイモビール』P284
口噛みッ!?
ジャガイモビール!?
なんじゃこりゃッ!!!
これがどんなものかというと、その名の通り
口の中でかみ砕いて、すりつぶして、マッシュポテトのようにしたジャガイモを、発酵させるのである。
オエェェェェェェ!
マジでかッ!
本の中では、発酵を促進させるためにドライイーストを加えている。
にしても、、、
どんな味か想像するだけでもイヤなのは僕だけであろうか?
オエェェェェェ!
発酵と思考4『いい言葉はいい人生をつくる』
パン生地の発酵にね、モーツアルトをきかせるっていうじゃないですか?
そうするとね、違うらしいんですよ。パンのでき具合が。
これは、パンに限ったことではなく、例えば醤油、鰹節の発酵でも同じらしい。
僕は、自家製の豆乳ヨーグルトを作っている。
毎日、食べては発酵させ、食べては発酵させを繰り返している。
これは、僕の知り合いから聞いた話だ。
なんでも「ヨーグルトの発酵にもありがとうという言葉がいいらしい。」というのだ。
はたして本当か?
昨日のブログでも書いたのだが、発酵とは人間にとって役にたつ微生物の働きを言う。
family-base-camp.hatenablog.jp
もしこれが正しいとすると、微生物が「ありがとう」プラスの言葉に反応してよりいい働きをするということになる。
僕は今日も自家製発酵の豆乳ヨーグルトを食べた。
食べながら、ふと、思った。
「ありがとう。という言葉に反応しているのは微生物じゃなくて自分じゃないのか?」
つまり、「ありがとう」という言葉で変わったのは、ヨーグルトではなく自分ということだ。
たぶん、そうだ。
いい言葉は、いい人生を作る。
いい人生は、いい言葉からできている。
だから、今日のブログをこんな言葉で締めくくってみる。
「今日も見に来てくれて、ありがとう。」
発酵と思考3『人間も醸す』
小倉ヒラクさんの著書『発酵文化人類学』から抜粋
発酵をもっとも一般的に定義すると
人間に有用な微生物が働いている過程
であると言えるでしょう。あわせて発酵とコインの表裏になっている「腐敗」は
人間に有害な微生物が働いている過程
と定義することができます。
ざっくり言うとだな。人間に役立てば発酵、役に立たなければ腐敗
と言うことになります。
著書「発酵文化人類学」 P035より
人間は誰しも必ず年を取る。考えてみると、年を取るということは「醸す(かもす)」ことなのかもしれない。
味噌は大豆と塩と麹からできている。
豆をいくら長い時間、蔵に置いていても味噌にはなってくれない。
大豆に塩と、麹という要素が組み合わさったときにはじめて味噌になるのだ。
人間も、それと同じかもしれない。
人間も年を重ねる過程で「経験」という微生物を取り込む。
その微生物を、自分のフィルターをとおして育てていく。
そうすると、自分という人間を「醸しだす」ことになる。
ただ、人間が人生を通して「醸しだす」のには2種類ある。
一つは、他の人の役に立てるように醸し出していくこと。
もう一つは、自己中心的に、他の人の役に立つことを考えずに醸し出していくこと。
前者を「発酵」といい、後者を「腐敗」という。
人間も、味噌も、腐ってはダメ。
つねに、明るく前を向き、人の役に立って生きていきたいものだ。
発酵と思考②「見えぬけれども・・・」
菌は目に見えない。
でもそこに確かに、ある。
現代人は、“見えるもの”しか信じなくなってしまった。
それが、現代人が抱える『不幸』を作り出しているのかもしれない。
昨日はそんなことを考えながら、自家製の豆乳ヨーグルトを食べた。
family-base-camp.hatenablog.jp
“見えるもの”しか信じない。
ところで、現代人が信じる『見えるもの』って何だろう?
例えば、お金。
お金を信じている現代人はとても多い。
だけど、少し考えてみてほしい。
その、お金を信じて、幸せになったのだろうか?
確かに、お金を信じたおかげで裕福にはなっただろう。
だけど、『裕福』=『幸せ』ではない。と思う。
それと同じように、『苦労』=『不幸せ』でもない。と思う。
お金がないということは、確かに現代では生きづらい。
生きづらいということは、『苦労』すると思う。
でも、必ずしも、『苦労』が『不幸せ』を作っているのではない、と思う。
今日はそんなことを考えながら、自家製の豆乳ヨーグルトを食べた。
食べながら、ふと、こんな詩を思い出した。
金子みすゞさんの『星とたんぽぽ』という詩だ。
『星とたんぽぽ』
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
『見えるものしか信じない世界』と『見えないものも信じる世界』
果たして、どちらがより幸せな世界を作るのだろうか?
見えぬものは、ないんだよ。
見えぬけれども、あるんだよ。
発酵と思考①「無菌状態」
こころなしか、体の調子がいい。
豆乳ヨーグルトの作り方は簡単だ。
米ぬかを利用した乳酸菌を作り、豆乳に混ぜるだけだ。
これだけで、豆乳ヨーグルトができる。できた後は、食べた分だけ豆乳を継ぎ足せば
またできる。
腸内フローラという言葉が流行っているが、これで、私の腸内には活きた乳酸菌がたくさん増えているだろう。
さて、最近は、何でも除菌する傾向にある。
手洗いもそうだし、台所のアルコール除菌もそうだ。
そんなに菌が怖いか?
菌の何が怖いかというと、おそらく見えないからだ。
見えない何かの力で、ある菌は人間にとっていい活動をする。また、ある種類の菌は命を脅かす。
どちらにしても、人間の裸眼では見ることができないので、それなら全部殺してしまえ!というのが最近の流行りだと思う。
ところで、大昔の人々は、そんな目に見えない菌とうまく付きあい生きてきた。
当然、除菌スプレーなんてない時代にだ。
もちろん、悪い菌のはたらきで、得体のしれない病気が蔓延することもあったかもしれない。
しかし、そんな状況でも、人々は自分たちにとっていい菌をうまく活用して生きる術を発明した。
これはすごいことだ。
とくに日本人は発酵と深く結びついた生き方をしてきた。
見えないものを排除しようとせず、活用しようとした工夫が今も残っている発酵食品だ。
見えないものの力って大事なんじゃないかと思う。
今の時代だからこそだ。
すこしスピリチュアル臭くなるが
現代における『間違いの多く』は
見えないものを信じる力がなくなったことじゃないか?
もしも、見えるものしか信じないとしたら
すごく自己中心的な人間ができあがるのではないだろうか。
そんなことを思いながらヨーグルトを食べた。
こちらは発酵について面白かった本の一つ
発酵考察。
発酵に興味があります。それは、発酵食品をいろいろ作ってみたいという思いからです。
前に2度、味噌を作ったことがあります。
今年は、3回目の味噌づくりに挑戦します。
他にも面白そうな発酵食品がたくさんあります。自分たち家族に合いそうなもので、みんなが作ってみたい!と思えるようなものにチャレンジして作りたいと思っています。
その昔は、発酵というものが生活の一部になり、ご飯を炊くように、発酵食品を作るということが馴染んでいました。
でも、時がたつにつれて、発酵食品を作る技術というものが忘れ去られてしまいました。
昔は、味噌なんてどこの家庭でも作っていたそうです。
だけど、今ではほとんどの人が味噌をスーパーで買っていますよね。
僕は2回味噌を作ったことがあるのですが、味噌づくりは簡単です。まだ2回しか作ったことがないのに、何を言っているんだという話ですが、、。
でも、ホントに簡単なのです。
味噌づくりに作業と言えば、8割がたか「待つ」という作業です。
どれぐらい待つか?
あみんかっていうぐらい待ちます。
待って待って待って、待ち続けて半年後にいい味噌ができるんです。
ここがポイントですね。
現代の人って、「待つこと」が苦手ですよね。なにかせわしく動いていないと落ち着かない。
だから、味噌づくりって、もしかすると苦手なのかもしれません。
だけど、一見無駄なようなこの「待つ」という時間ですが、これが本当は大切なんだと思います。
待っている時間がもったいない。だから、スーパーで出来上がった味噌を買う。
しかし、それで失ってしまった代償ってなんでしょう?
それは、健康であったり、文化であったり、もしかすると、『なんでも自分でやってみよう!』という精神なのかもしれません。
本当に人任せになってしまいましたね。
だからこそ、僕はもう一度『発酵』について考え行動することで、失ってしまったものを取り戻したいと考えるのです。
どうせ考えるなら、家族みんなで考えて、行動していこうと思いました。
あっ、最後になりましたが、この本大好きです。