「人生は、問題じゃなく、課題でできている。」
アドラー心理学では人生には3つの課題があると言われています。
一つは仕事の課題
二つ目は交友の課題
三つめは愛の課題
人の一生の中で取り組むべき課題と言うのがこの三つということですね。ちなみに、下に行けば行くほど難しくなるといわれています。
主に僕は子育てにアドラー心理学を取り入れています。子育てというのは親と子どもの関係ですね。ということは、これは「愛の課題」にカテゴライズされます。
日々試行錯誤しながら、子育てに取り組んでいます。取り組んでいるというか、「向き合って」おります。
子どもがいる方ならそうですよね。
そりゃ、失敗することもありますが、愛の課題は一番難易度が高いのです。失敗は当たり前だし、失敗は素敵です。なぜなら、難しい課題に挑戦しているのだから。
たくさん失敗して、また、たくさん分かり合えればそれでいいと思うんです。
☆アドラー心理学を学んでよかったこと☆
さて、アドラー心理学を学んでよかったと思うことがあります。それは何かというと、「課題」にとりくむ「勇気」をもらうことができたということです。
ところで、みなさんは「課題」って聞きなれないと思いませんか?僕は最初そう思いました。違和感があるという感じでしょうか。
じゃあ、僕たちが聞きなれた言葉で言い直すとするとどうなるでしょうか?僕は「問題」だとおもいます。課題じゃなくて問題。
それで、アドラー心理学の3つの課題を「問題」に置き換えてみるとどうなるでしょうか?
仕事の問題
交友の問題
愛の問題
どうでしょう?どんな印象を受けるでしょうか?
課題と問題。
例えば、今ホットな話題「北朝鮮ミサイル問題」
この言葉について考えてみると、例えばこれをアドラー用語に直してみるとどうなるでしょうか?
「北朝鮮ミサイル課題」
どうですか?どんな印象を受けますか?
少し質問を変えると、"どちらの方が解決しそうでしょうか?"
僕は課題の方が解決しそうな気がします。
あなたはどうですか?
なぜかと考えてみると、「問題」という言葉のニュアンスには、自分以外の要因が絡んでいるような感じがするからです。例えば、北朝鮮ミサイル問題については、アメリカがどう対応するか?が重要なので、日本としては何ともできない。とか。
では「課題」と言うとどうでしょうか?「課題」というニュアンスには、"自分に何ができるか?"ということを考えたくならないですか?例えば、北朝鮮ミサイル課題については、ほかがどうであれ、日本として何ができるのか?を考え、例えば、有事の時に備えて憲法を整える、とか。
戦争はひょっとすると向こうからやってくるかもしれません。
こちらが〝したくなくても゛ね。
例えが、北朝鮮のミサイルについてでしたが、他で例えると、環境問題と環境課題
どっちが解決しそうですか?
僕は課題の方が進んでいけそうな気がします。
なぜなら課題という言葉には「解決できることが前提」というニュアンスがあるのではないでしょうか?
アドラー心理学では問題という言葉はほとんど出てきません。その代わり、課題という言葉が出てきます。
課題なので、自分にできる範囲で取り組むことができますし、自分に取り組める範囲でしか悪い状況は解決できないのではないかと感じます。
自分に何ができるか?
アドラー心理学を学んでよかったことの一つに、人ではなく、自分に何ができるか?を考えられるようになったことだと思っています。
だって、僕の人生に起こることは
いつだって、問題ではなく
僕の力で解決できる課題なのだから。
ーおしまいー