僕よりも若い人が自殺することについて思うこと。
最近というわけではないが、自分よりも若い人、中学生や20代の人が、自殺したというニュースを見ると、特に胸が締め付けられる。
これは、自分に子どもができて、子育てをしているということが大きいと思う。
少し前のヤフーニュースでこんなニュースがあった。
若い世代の死因、自殺最多。。。自分で命を立つ若い人が過去最多ということだ。
本当に悲しくなる。
悲しい。これは自殺という道を選んだ人を悪く言っているのではない。
「この現状に自分に何ができるのか?」
自分の中で、この問いに対する明確な答えが見つからないんだ。
それが悲しい。
若い人は未来だと思う。これは子育てをしていて本当に思う。僕はいま5歳の男の子と、3歳の女の子を育てている。子育てって、未来を育てていると僕は思っている。
なにも、いい大学に入ったり、いい企業に就職したり、スポーツでいい結果を残すだけが子育てじゃない。それだけが有用な人間じゃない。それだけが明るい未来じゃない。
いい大学、いい企業、スポーツでいい結果を目指す。
これは子育てじゃなくて、教育だと思う。教育は教育でいい。ただ、子どもを育てていくということとは違うんじゃないかな。。。
子どもを育てるというか、もっと大きく、子どもを育んでいく方がいいのではないか?
子どもをはぐくむ。それが子育てだ。そう思う。
もちろん、子どもを教育することは悪いことではない。ただ、僕たち親は「教育」と「子育て」をちゃんと分けて考えた方がいいんじゃないかなと思う。
なぜかって、教育は少し、人生が窮屈になる。それは、一つのゴールを目指して、そこに向けて、どうすれば最短ルートを通れるか?を大人たちが教えていくことになるからだ。
大人たちが教えていく???
いや、大人が勝手にゴールをきめて、ゴールテープを持ち、そこに子どもたちを競争させているのかもしれない。。。
ということは、そのルートから外れてしまえば、子どもは置き去りになってしまう。そして、かなりスピードも要求される。常に、全力ダッシュでゴールを目指すことになる。
道の途中の景色なんか見る余裕もなくね。
子育て。つまり、子どもをはぐくんでいくことって、例えば、道の途中に咲いているお花について子ども一緒に話すこと。
例えば、道の途中で、見たこともない、奇抜な虫を発見した時、「これってなんていう虫かな?」って子どもと一緒にその場にしゃがんで観察すること。
そうやって子どもを一人の人間として育んでいく。
子どもはスポンジのようにいろんなことを日々吸収している。大人が1を聞いて10を知るぐらいなら、子どもは1を聞いて100を知る。
それぐらいやわらかく吸収する。
想像力豊かな子どもたちは、そうやって自分の殻から抜け出して、好奇心とともに外の世界へとつながっていくんだ。
最初は、一人じゃ不安かもしれないけど、大丈夫。子どもはいつか一人で飛べるようになる。
勇気という羽をひろげて、広いひろい、外の世界にね。
もちろん、この広い世界には、勝ち負け、大きい小さい、早い遅い、といった狭い判断基準だけで評価される世界がある。
それだけがすべてという窮屈な世界。
でもね、子どもの勇気という羽をちゃんとはぐくんであげれば、窮屈な世界からいったん飛び立つことができる。
それで、少し休んだら、またチャレンジすればいいじゃん。
僕たち親は、もっと、子どもをはぐくんでいくべきだと思う。
なぜならば、今は子どもでも、この子たちが日本の未来、もっと大きく言えば、人類の未来を作っていくのだから。
もう少し続けたい。というのも、ひつじ田メイ子さんの書かれたブログを拝見し、いい意味で考えさせられる内容でした。
それで、今回のテーマ「自分よりも若い人が命を絶つこと」について、もっと深く考えてみたいと思った。
さっそく、僕は思うことがある。それはこんなことだ。
「何も考えなくても生きられるけど、何かを考えなければ自殺はできない。」
自殺って何かを考えた結果だと思う。何かを考えて、考えて、考えて、考えて、考えた結果、、、、、、自ら命を絶つという結論に達したのだと思う。
でも、僕は、その結論は間違っていると思う。
何かを考えなければ自殺はできない。これが正しいとするならば、自殺する人は、何かを誰よりも真剣に考えることができる真面目な人なんだと思う。
だけど、真剣に考えて悩んだ結論が、自ら命を絶つ。
これは間違っていると思う。
真剣に考えるのはいいことだと思う。ただ、真剣にもレベルがある。真剣のレベルが10段階あるとする。そして、真剣レベル8ぐらいになると、それは真剣じゃなくて深刻になってしまう。
深刻に考えると必ずマイナスな方向に結論を出してしまう。
だから、真剣に考えるのはいい。
だけど、深刻に考えるのはまずいと思う。
深刻に考えても、いい答えは出ないから。
だから僕は自殺を選ぼうとしている若い人にこう提案したい。
もっと真剣に逃げませんか?
これは、真剣に考えて自殺を選ぼうとしている人が
深刻に考えて自ら命を絶ってしまう前に伝えたいことだ。
だから、真剣に考えてもないのに、逃げようとしている人たちのために、この文章をわざわざ考えて、絞り出しているのでは決してない。
どうしようもなく、真面目で、繊細で、追い詰められていて、それでもなお真剣に考えて、自殺という物騒な二文字が頭をよぎった人へのメッセージだ。
真剣であっても、深刻になってはいけない。
だからもう一度言う。
深刻になって命を絶つより
真剣に逃げて生きてみませんか?
「逃げる」という言葉に抵抗があるようなら、言葉を変えます。
逃げるんじゃなくて、そこから飛び立ちませんか?
大丈夫、あなたにも羽があるはずです。勇気の羽がね。
でも、こんな声が聞こえてきそうだ。
「それができれば自殺しない。」
だから、何度でもいうけど、深刻に考えてはいけない。
だって、真剣に考えればいくらでもあるじゃないか。
もっと真剣に、真剣に、本気で真剣に考えれば逃げる方法がいくらでもあるじゃないか。
誤解を恐れずに言う。
メンヘラでも
うつでも
宗教でも、
登校拒否でも
引きこもりでもいい。
そういう生きるのに便利な道具を使って
生きてくれ!
そうじゃないと、、生きていてくれないと、話もできないじゃないか。
一度立ち止まって真剣に考えてみてほしい。
そうやって逃げて生きることって別になんにも迷惑かけてないじゃないか。
死んでしまうことに比べたら。。。
だから僕は何度でも言いたい。
深刻に考えて命を絶つより
真剣に考えて逃げろ。
話はそれからだ。
*あとがき*
若い人たちが自殺を選んでしまうこと。この問題に対して、自分に何ができるのか?この答えはわかりません。もしかすると、何もできないかもしれません。
ですが、
この二つを見て考えたことで、書かずにはいられませんでした。
本文中に
「何も考えなくても生きられるけど、何かを考えなければ自殺はできない。」
と書きました。
僕自身は、前者のタイプの人間です。何も考えていないバカ者です。
これは、バカがバカなりに真剣に考えて書いた文章です。
おそらく、賢い方々が見ると、突っ込みどころ満載で、何か言いたくなる文章でしょう。
それは、全然かまいません。
ただ、この文章は、そんな中に埋もれて「何にも言えない人」に読んでほしい。
その人たちの中で「真剣に考える何か」になれれば、このバカで拙い文章も報われる思いです。
最後になりましたが、バカが長々とすみませんでした。