アサドリのブログ52
おはようございます。
もう春ですね。暖かい朝です。
梅の花なんかも咲いていて
すごくきれいだと思うことが増えました。
今年は桜の花の開花はいつぐらいなのでしょうか。
皆さんはお花見は行かれますか?
我が家では毎年、家族で行っているのですが
今年はどこに行こうか?と話しているところです。
春は何かと楽しみな季節ですね。
昨日、日曜日は家の近くにある少し大きめの公園に行きました。
天気も良かったのでたくさんの家族連れでにぎわっていました。
そんな中、うちの子どもたちもすごく元気に遊んでいたのです。
その公園には大きめの遊具が2つあり
あとは小さい遊具がポツポツとある公園です。
そのほかにも広い芝生のスペースや、展望台なんかもあり
天気のいい日は、家族で遊ぶのに最適な公園です。
場所をお伝えしたいのですが
できないのが残念です。。。涙
あぁ、でもこの公園を皆さんにもお伝えしたいなぁ~。。。
この公園のあるあるを言いたいんですよね~。。。
公園あるあるを早く言いたいんですが、
言えないですね。。。
あぁ~!あるある早く言いたいなぁ~
公園あるある早く言いたいッ!
あるある早く言いたいッ!
もう待ちきれないッ!
「大人は疲れがち」
それで、5歳の息子ですが、
その公園にある大きめの遊具で遊んでいたときのこと。
当然、知らない子どもたちがいっぱいいます。
そんな中、どうやって遊ぶのかなぁ~と見ていました。
しばらくは、一人で走り回って遊んでいいました。
すごく楽しそうに遊んでいました。
そしてまた、しばらくして、
ふとみると息子の方をみると
知らない男の子と遊んでいたのです。
歳は息子よりは少しうえなのかなぁ~と思いました。
その遊具を探検するように
二人でいろんなところに行っていました。
そのようすを見ていて
僕はすごく嬉しく思いました。
やはり子どもの力はすごいと思います。
ダイヤモンドがダイヤモンドでしか磨かれないように
人間は人間でしか磨かれないと言います。
もちろん、保育園など知っているの友達なかで磨かれることも大切です。
ですが、全然知らない子と友達になれるというのは
すごく大切なことです。
それが、強制ではなく自然にできればさらにいいですよね。
何かをきっかけにして
自分で対人関係に入っていく勇気。
これって、すごく大切な能力だと思うんです。
それで、帰りの車の中で
僕は息子に聞いてみました。
「今日は知らない子と遊んでたね~?」
すると息子は言いました
「遊んでたんじゃなくて冒険してた!」
そうか、そうか、大人にとっては大きめの公園でも
子どもにとっては冒険するためにフィールドなんですね。
子どもは冒険をとおして成長する。
トムソーヤですね(笑)
今日も幸せな一日を選択できますように。
アサドリのブログ51
おはようございます!
今日は天気が良さそうな日曜日です!みなさんはどんな休日を過ごされるのでしょうか?
昨日はランチにピッツァを作りました。
僕は生地作り担当で、妻が具を作る担当です。
それで、子どもたちもすごく楽しそうに手伝ってくれました。
我ながら、おいしくできたと思います♪
僕が担当した生地もいい感じでできていました。
冷凍のピザだと、生地がパリパリに乾燥したようになるのですが
作りたての生地はもちもちしていておいしかったです。
生地の上にのせる具も、4種類ぐらい作ってくれていて
それぞれとてもおいしく、飽きずに食べることができました。
外食したりするのもいいけど
みんなで協力して何か作るというのもいいなぁ~と感じました。
そして、昨日の夜はスポーツチャンバラに初めて行く日でした。
僕と息子は、木曜日ぐらいから楽しみにしていたのです。
それで、練習予定となっていた19:00に合わせて
練習会場となっている公民館に向かいました。
車内でも
「スポーツチャンバラたのしみだなぁ~♪」
という会話を息子としながら向かいました。
そして、会場に着いたのですが、、、、
暗いッ!!!
会場が暗いッ!!!!
僕は嫌な予感がしました。
まったく練習をしている気配がないのです。
もしかしたら、少し遅れてくるのかなぁ~?と思い待ってみましたが
いっこうに誰もくる気配がありません。
月曜日に公民館の管理人の方に連絡した時は
確かに、土曜日の19:00から練習の予定が入っています。と教えてくださったのです。
しかし、どうやら、今日は、何かの都合で急遽中止になったのだと判断しました。
僕も息子もがっかりしました。。。。。
ですが、寒い中、これ以上待っているわけにもいかないため
その日は引き上げることにしました。
車のなかで息子に「次の練習のときにまた行こう♪」という話をしました。
まあ、楽しみは先にとっておいた方が、日々の生活が楽しくなりますよね!
週明けにもう一度、連絡を取ってみて
今度こそはスポーツチャンバラの練習を見てみたいと思っています。
その日まで、スポーツチャンバラの動画を見て気持ちを高めたいと思いました。
今日も幸せな一日を選択できますように。
*ノースリーブだけど、シバかれたら痛くないんかな?
それとも、シバかれないという自信かな?*
アサドリのブログ50
おはようございます!
今日は、土曜日、会社はお休みです。なので、普段なら電車の中でこのアサドリのブログを書くのですが、今日は自宅のパソコンからお届けしています。
さて、今日は、息子の保育園の卒園式です。息子は年中さんなので、お兄ちゃんやお姉ちゃんを送り出す側です。ですが、来年の今頃は、保育園をを卒園する方に回っています。
一年が経つのは本当に早いなぁって思います。同じ一年なんでしょうけど、最近なんだか早いです。これは、子どもがうまれてなのかなぁって、うすうす思っているのですが、どうなんでしょう。過去の自分んい戻って比べることができないので、わかりませんね。
だけど、子どもができてから。とりわけ、30歳になってからの1年間のスピードってすごい早く感じるんです。感覚だと、3か月ぐらい早い気がします。それは、去年の12月末に思いました。。「あれ、なんか、まだ、9月のような、気がするよ。。。」いっこく堂みたいですが、ほんとにそんな感じです。
「カレンダー通り」という言葉があります。その言葉の通り、カレンダーにしががって一年は経過しますよね。だけど、僕の体内カレンダーでは、去年の12月の段階で、まだ9月のままだったのです。
なんだか不思議な感じ。
そうこう言っていたら、もうすぐ4月なんですよ!信じられますか?今年1年も早いんだろうな~。と思いつつ、もうすぐ4月が来ます。
このギャップってなにか?って考えてみると、おそらく、子育てだと思うんです。子育て中のかたって、1年経過するのが早いっていう人が多いんじゃないでしょうか?
これがなぜなのか?いくつか理由があると思うんです。
理由1:子育てで毎日が慌ただしくも楽しいので、1日過ぎるのが早いため、1年がたつのが早い。
理由2:子どもたちの成長スピードが速いため、大人がそれについていけず、誤差を感じる。
理由3:子どもができると、毎日の生活が規則だたしくなり、一日が代り映えしないため早く感じる。
パッと思いつくのがこんな感じです。
僕が考える、1年が早く過ぎることに関する理由に共通しているのは「子ども」ということだと思います。
僕自身は、自分の子育てがすごく充実しているし、楽しいものだと感じています。それは、一つは、仲のよい家族の雰囲気を作れているからだと思います。なぜ、仲の良い雰囲気の家族を作れているかというと、まずは、自分自身の態度や言動を、常にチェックしているということがあると思います。つまり、僕自身は家族の中でのポジションとして「強圧的な父親」ではないということです。
少なくとも、そのように心がけて暮らしているし、どちらかというと、僕自身は物腰やわらかいタイプなので、家族にかかわらず、よそ様に対しても強圧的なのは苦手です。
だから、強圧的ではなく協力的に家族の中で立ち回りたいと思い生活をしています。
もちろん、何かに対して「イラっと」することはあります。ですが、その感情をそのまま表現せず、努めて冷静に、自分の考えを相手に伝える努力をします。
そうしていると、家族に僕のことを「仲間だ」と思ってもらうことができるので、今現在は、僕は家族の一員として幸せに暮らせているし、僕自身も妻や、二人の子どもたちのことを信頼し、仲間だと感じています。
お互いがお互いのことを仲間だと思い、助け合って生きていく。
だから、いろいろあるけれど、毎日の家族との生活が充実していると思うし、楽しいと感じています。それで、一人が過ぎるのが早いと思うのでした。
僕を受け入れてくれている家族のみんなに感謝しつつ
あっというまに大きくなっていく子どもたちとの時間も大切にしたい。
そう思う休みの日の早朝でした。
今日も幸せな一日を選択できますように。
family-base-camp.hatenablog.jp
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誠に申し訳ないのですが、何卒、よろしくお願いいたします。(笑)
*1:こちらは今朝ほど書いた記事です。よかったら覗いてみてください!
ようかいを知らないと妖怪になるぞォォォ!(オオカミ男少年)
5歳の長男は、妖怪が好きだ。妖怪といっても、すこし前に大ブームとなった某妖怪時計のような“ゆるきゃら的妖怪”ではない。じゃあ、どんな妖怪か?というと、水木しげる先生が描かれたちゃんとした妖怪だ。
それで、息子と一緒に妖怪について学んでみることにした。一緒に学ぶといっても、息子のほうは、だいぶ前から妖怪の勉強をしているので、僕よりよく知っている。だから、息子から妖怪のことを教えて頂く、といった方が正しいかもしれない。それで、息子は現在はこの2冊の本を持っている。
このうちの妖怪大百科を妖怪研究のテキストにして学んでみることにした。それで、これが結構面白いというか、妖怪に対してみる目が変わった。まだ、妖怪の勉強(研究)を始めたばっかりだが、今後も息子と一緒にコツコツと勉強(研究)してみたいと思う。
今日はその成果をご紹介してみたい
前書きより
妖怪の味わいかた 水木しげる
・ところが、“妖怪好き”は、昔から貧乏人が多い。まア、金持ちは芝居とか、いろいろ金のかかる遊びができるが、金がなくても楽しめるのが妖怪。だから、どうしても妖怪好きは、貧乏人が多い。
・妖怪を楽しむのに別に苦行する必要はない。ラクして味わえるのが妖怪だから、どうしても“ナマケモノ”に好かれるのが妖怪の特徴のようで、金もうけで忙しい人には見えないものらしいですナ。
「水木しげる 妖怪大百科 」
これがまず面白かった。
妖怪は貧乏人にしか見えない。僕は貧乏人なので見えるはずだ!
いや、むしろ僕には、、、
はっきり見えるはずだ!(笑)
僕の好きな言葉に「自分の趣味に金がかからない人は幸せだ」があるので、妖怪研究は息子と一緒に今後も続けていきたいと思っている。(いつまで付き合ってくれるかな?)
妖怪を知る7つのポイントより第1のポイント
「妖怪とはどんなものだろう!?」・大昔の人々は万物にたましいのようなものが宿っているものと考えていた。すなわち、木には木のたましいがあり、石には石のたましいがあり、夜寝しずまったころ、踊りをおどったりしているかもしれないと考えていた。
「水木しげる 妖怪大百科 P16」
僕は息子に聴いてみた。
「木とか石とかにたましいってあると思う?」
「あると思う!」
「そうか!お父ちゃんも思う!だって、家の近くの神社にある木って絶対たましいがあるよな!?」
「そうやな。」
僕も子どものころから「たましい」というものを信じている。それが具体的に何か?というのはわからない。だけど、森羅万象すべてのものがただの無機物ではなく、たましいを持って生きている存在だと感じているのだ。
もしかすると、その“たましい”というものが姿を変えて妖怪になっているのかもしれない。
今日は妖怪の研究をとおして、息子も同じように「たましい」というものを信じていることが分かった。
これは私的な意見だが、現代の不幸って「たましい」というものを忘れてしまったことも、関係しているのではないか?と思った。「たましい」という存在が心のどこかにあると、他の人やモノにたいして“やさしくなれる”んじゃないかと思う。「たましい」という見えないものの存在を認めて暮らしていくということは、自分以外の人や物を大切にするということでもある。
だから「たましい」という存在を忘れてしまったら、自分中心、俗にいう“自己チュー”になってしまう。
今日、水木しげる先生の妖怪を通して学んだこと。それは、妖怪を知るということは
「たましい」を知る。ということと言い換えれるんじゃないか?
ということだ。
「たましい」の存在を忘れた人間は自己チューになる。自己チューな人間はいずれ不幸になり、不幸な人間の中には邪鬼が住む。
もしかすると、本当の妖怪って
たましいをどこかに置き忘れてしまった
人間なのかもしれない。
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アサドリのブログ49
おはようございます。
今日は寒いです。冷えています。
天気は良さそうで、星もきれいに見えるのですが
いかんせん寒い。
暖かくなったり、寒くなったり。
これを繰り返しながら春になるのですね~。
今月は、息子と僕、親子で新しいことにとりくみます。
一つはスポーツチャンバラ。
もう一つは、段ボールで迷路を作るイベントです。
スポーツチャンバラは、前々から興味があり、家の近くで活動しているチームがあったので、そちらの見学に行って見ます。今週の土曜日ですね。あっ、気づけば明日か。(笑)
段ボールでつくる迷路は、そのスタッフに携わる人からお誘いを受けました。なので息子に参加したいかどうか聞いてみたところ「参加したい!」とのことなので、一緒に参加することにしました。
僕は、スポーツチャンバラもやったことがないですし、段ボールで迷路をつくることにも参加したことはありません。
なので、どちらも初めての経験です。
すると当然、そこで、出会うであろう人たちとも、初めて会うことになります。
こどもと一緒に初めてのことを経験するって、いいことなんじゃないかな?って思うんです。
これは二つあると思っていて
一つ目は、技術を一緒に習得できるということです。
これは、例えば、スポーツチャンバラなら、ゲームに勝つためのテクニックを、先生から教えていただくことになります。
こどもと一緒に0から技を覚えるということ経験はすばらしいものだとおもいます。
二つ目は、初めての出会う人や集団に対して、親である僕の接っしかたを、こどもには近くで見て学んでほしいなと思います。
例えば、段ボールでつくる迷路のイベントなら、一緒に作業をするであろう、ほかの親子の方とは初対面です。初対面の相手と、どういうふうに距離を縮めて、どういうふうに、仲良くなり、どういうふうに、「してほしいこと、やめてほしいこと」というような、こちらの意図を伝えていくのか?
こういう、「対人関係で身につけておくと便利なこと」を、こどもには、近くで見て学んでほしいなと思っています。
「こうすると、他の人と仲良くなれるんだ。」
とか
「なるほど、こういうふうに協力していくんだ」
とか
「他の人には、こういうふうに自分の意見は伝えるんだ。」
など。
対人関係に関することって、なかなか言葉では伝えられないと思います。
それは、実際に見てもらうのが早い。
こどもたちはこれから
「初めて」をたくさん経験していくことになります。
その時に避けて通れないのが対人関係。
つまり、他の人とどのように協力し
よりよい関係を築いていくか?
こどもは、お稽古ごとの先生や、保育園の先生から、日々いろんなことを教えてもらうと思います。
それで、僕からは、人間関係をよくする技術を見て、感じ取って学んでほしいなぁと思います。
新しいことを始まる春に。
今日も幸せな一日を選択できますように。
息子のズボン。
今日、洗濯物をたたんでいるときのこと。僕は、ぼーっとしながらたたんでいた。それは、洗濯物をたたむことすっかり慣れてしまって、考える必要がなくなったとも言える。だから、ぼーっとしながらでもたためるようになったのだ。
それで、なにも考えずに洗濯物をたたんでいると、なにげなく手にとったジーンズに違和感を覚えた。「ん?これだれの?」それは、今までになかったような大きなズボン。僕や妻のものにしては小さいし、娘のズボンにしては大きすぎる。「これ、もしかして、○○(息子の名前)の?」僕は近くで遊んでいた息子に聴いてみた。すると「そうやで!」という返事。僕は思った。「大きくなったなぁ。」と。
子どもの成長は早い。あたりまえすぎて気づくのが難しいが、ふとした瞬間に実感する。だから、子どもの成長は、ぼーっとしていたら見逃してしまいそうになる。ほんのちょっとでいい。子どもが昨日よりも成長したところを見つけよう。
未来に僕はいない。
「せいぜい、今日を生きる。」これは僕が好きな言葉だ。最近は、平均寿命もどんどん高齢になっている。しかも、年金受給資格も上がる。しかし、医療費などの負担率も上がるようになるので、未来に対する不安はつのる。
僕は現在33歳。6月で34歳になる。例えば80歳まで生きれるとしても、あと46年ある。しかし、平均年齢まで生きられるとは限らない。もっと早くに死んでしまうかもしれない。長生きしても、短い人生だったとしても、先のことを考えるのは不安なのである。不安かどうかは人それぞれだが、不安をあおるような情報が多いのも確かだ。
じゃあ、どうするか?そこで登場するのがこの言葉だ。「せいぜい、今日を生きる。」何も特別じゃなくてもいい。理想通りの人生じゃなくてもいい。まずは、今日を生きてみる。生きていられるのがあたりまえと思わず、今日をせいぜい生きてみる。そういう生き方がいいんじゃないか。そう思う。