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「なぜ戦う!子育てで怒らないための1つの提案」

 

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生きるのに「敵」って必要ですか?「敵」と戦うことに人生の意義を見出し、そして、「敵」に勝つことで己の価値を高めていく。

考えてみると、僕たちは子どものころからそういう教育をどこかで受けているのかもしれない。学校では意識的、無意識的にかかわらず、クラスのお友達、あるいは、学年のお友達と戦うことになる。

それは、勉強でもそうだし、部活動でもそうだ。

そこには、順位というものがあり、勝ち負けというものがある。そうやって、僕たちは常に「敵」という存在をつくり、そして「敵」にいかに勝つか?ということを教え込まれているのではないだろうか?

↓本日のメニューです↓

 

 
☆「怒らない」ではなく「戦わない」子育て☆

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みなさんは、トランプ大統領ってどんなイメージですか?もちろん、僕はアメリカ人ではないので、詳しくは分からない。ただ、「戦いが好き」ということはなんとなくイメージできる。

おそらく、トランプ大統領は「常に何かと戦っていないと生きていけない」タイプの人間ではないだろうか?

例えば、北朝鮮。今、トランプ大統領の敵と言えば「金 正恩」である。トランプ大統領は寝る暇も惜しんで、「どうやって、キムに勝つか?」ということを考えているに違いない。

それで、思うのだが、「もし金 正恩に勝ったらどうするのか?」ということだ。おそらく、「また次の敵を探しに中東の方」に行くのではないだろうか。

つまり、トランプ大統領は、「自ら進んで敵を探し、その敵に何としても勝つことで自分の価値を確認していく。」という人生なんだと思う。

ずっと戦ってばかりだ。

ずっと戦ってばかり、、、それで思い出すのがもう一方いらっしゃる。「宮本武蔵」だ。彼も、生涯において、「戦い続けた」という点ではトランプ大統領と似ている。

しかし、宮本武蔵が最終的にいきついた境地は「戦わずして勝つ」ということだ。これはトランプ大統領とは似て非なるものだと思う。


つまり、トランプ大統領も、宮本武蔵も「戦いを求めて歩んだ人生」であるには変わりないけど、最終的にたどりついた境地が全然違うのではないだろうか?

トランプ大統領は「戦って勝つ」宮本武蔵は「戦わずして勝つ」。

そういえば、これを書きながら、ふと、思ったのだが、孫子の兵法にも「敵を知り己を知れば100戦危うからず」という言葉が出てくる。これって、どこか宮本武蔵の「戦わずしてかつ」に近いような気がする。

こういう東洋の思想ってヨーロッパの人たちには分からないのだろうか?

まあ、トランプ大統領にとっては「戦って勝つ」という人生がいいと思っているのだし、宮本武蔵にとっては「戦わないで勝つ」方がいいと思っているということで、どちらが正解ということはないと思うが、

僕は宮本武蔵の生き方に一票を投じたい。

だけど、トランプ大統領の生き方を否定するつもりはないので、日本人である僕の立場からすると「戦うなら勝ってほしい。」そんな風に思ってしまった。逆を言うなら「負けるなら戦うな」ということだ。勝つために協力はしたいと思っている。日本人として、この日本を守りたいと思うから。破壊されたり、乗っ取られたりするわけにはいかない。。。。

それはさておき、これもトランプ大統領に対する僕のイメージだが、「常に怒っている」という風に感じる。テレビで見るニュースでも誰かに対して怒っているし、ツイッターでは怒りながらつぶやいている。

そんなイメージないですか?

それで、なぜこんなにもトランプ大統領がお怒りなのか?というと、上で書いた内容と照らし合わせて考えると、

「敵と戦っているから怒っている」

のではないか?と思った。


☆戦うから怒る☆

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ところで、子育てで「子どもに怒ること」って必要ですか?僕は必ずしも必要ではないと思っている。

例えば、勉強。子どもが勉強を全然しないとすると、あなたはどうするか?もしかすると、「怒ってでも、いかに勉強が大切か?」ということを子どもに教えるかもしれない。

しかし、冷静に考えてみると、「別に怒らなくても勉強が大切だ」ということは子どもに教えていけるということだ。

勉強がなぜ大切なのか?なぜ勉強しないといけないのか?

これって、わざわざ怒らなくても、子どもに学んでもらうことはできるんです。ただ、そこからどうするかは子ども自身が選んでいけばいいと思うが。勉強を強制的にさせるのとは、話が少し違う。

それで、では、「なぜ、怒らなくても勉強が大切だ」ということを教えていけるにもかかわらず、「それでも怒るのか?」ということだ。

ここでようやく文章がまとまってきたのだが、それは

「子どもと戦っているからだ」

そんな風に思う。

戦いの最中には笑えない。また、笑いながらは怒れないだろう。だから、子どもと戦っているうちは怒り続けてしまう。子どもと同じリングに上がっているうちは、「怒りの感情というパンチ」を打ち合う状態になってしまうのだ。

だから、戦いながらは笑えないし、笑いながらは怒れない。。。

あっ、そういえば、昔、竹中直人さんが「笑いながら怒る男」というネタをやっていた。


竹中直人 - 笑いながら怒る人,日本文学全集

これはかなりレアなケースだと思う。また次の機会に研究してみよう。


☆なぜ子どもと戦うのか?☆

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では、なぜ子どもと戦うのか?というと、おそらくは

「子どもより上の立場でいたい」

と考えるからだ。と思う。

「上の立場でいたい」というのは、言い換えると「子どもを支配したい」ということである。戦いは勝負であり、勝負は勝ち負けが決まる。子どもより上の立場でいたいと思う親は、子どもに勝つことで支配したいと考えているのだと思う。

だから、子どもと戦うのだ。


☆子育ては【親がチャンピオン】VS【子どもが挑戦者】のタイトルマッチでは決してない☆

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ボクシングのタイトルマッチって何だろう?なんだろうって、考えるまでもなく、『どちらがチャンピオンか決めようぜ』ってことなんだと思う。

それで、子どもと同じリングに上がり、戦ってしまっている親。そんな親子の状況って

「ボクシングのタイトルマッチ」

だと思った。

つまり、親がチャンピオンで、そのベルトを狙ってくるのが、チャレンジャーである子ども。親は自分のベルトを子どもに渡すわけにはいかないので、必死で怒りというパンチで戦うことになる。こうなると、親は意地でもチャンピオンの位置から陥落するわけにはいかない。万が一にでも、子どもに負けてしまうと、自分がチャンピオンではなくなり、チャンピオンでないということは、自分は間違っているということを認めざるを得ないのだ。


ボクシングの世界はこぶしがすべてである。

強いものの言い分どんな時でも正しい。

負けてしまったら、どんなにきれいごとを言おうとも、

すべて間違いだ。


果てしてこれでいいのだろうか?もちろん、ボクシングはこれでいいんだと思う。ただ、子育てにおいて、こういう戦いを続けることがいいのだろうか?と考える。


☆親は子どもの対戦相手じゃなくセコンドについてあげよう☆

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もちろん、そういう子育てを否定はしない。ただ、好ましいとも思っていない。

だから、ここで言いたいのは、もし、「怒りたくないのに怒ってしまう。」というお父さんお母さんがこれを見ているとしたら、それは、怒りたくないのに怒っているのではなく、「子どもと同じリングに上がっているから怒っている」ということをメッセージとしてつたえたい。

同じリングに上がっているうちは、必ず怒りというパンチを出してしまう。それは、リングの上でパンチを出さないボクサーがいないのと同じだ。リングの上に上がった以上は、仮にパンチを出したくないと思っていても殴らざる負えないのだ。

怒りというパンチをね。

だから、もしも、あなたが「怒りたくないのに怒ってしまう」のであれば、どうやって怒らないようにしようか?と考えるのではなく、

リングから降りる

ことをおススメします。

そうするとこんな声が聞こえてきそうだ。

「えっ、じゃあ、親の仕事ってなんなの?」

今までずっと子どもと戦ってきた親が、リングを降りると、何をしたらいいのか分からなくなる。うん、そうかもしれない。

だけど、考えてみてほしい。親として、チャンピオンになり子どもの前に立ちはだかるよりも、もっと大切な仕事があるはずだ。

それは、

「子どものセコンドにつく」

ということだ。

セコンドなら別に怒る必要はない。優しく、短いことばで、スパッとアドバイスができるはずだ。


そして、いつかタイミングを見計らって、子どもにこう問いかけてみるといいのではないか?

 


「ところで、キミは何と戦っているんだい?」

 

ーおしまいー