アサドリのブログ57
おはようございます。
今日は土曜日です。一週間が、少し短く感じております。
2日間ほど寝込んだので、体内時計がそれを1日としてカウントしているんではないか?そう思います。
さて、昨日は、バタバタな一日でした。
妻が会社の送別会で、夕方から夜にかけて家に帰ることができない日でした。
なので、会社から帰ってからすぐ子どもたちをお迎えに行きました。
そのあと、ご飯をこども達に食べさせて(ドライカレー)からすぐに
町内会の集まりにこども達を連れて行きました。
というのも、今年は監査役にあたっており、監査報告をしないといけないため、出席したのです。集まりは1時間ぐらいで終わったのですが、
こども達が、とても場をわきまえた行動をしてくれたので助かりました。
初めて町内会に参加したのですが、とても雰囲気のいい町内会だなぁと思いました。
そのあとは、家に帰ってから洗い物をして、洗濯物を畳み、掃除機をあて、
こどもたちをお風呂に入れました。
そして、しばらく、ゆっくりした後に、布団を敷いて、子どもたちを寝かしつけるところまで行きました。
振り返ってみても、我ながらよくやったなぁ~と思います(笑)
細かく言うともっとあるのですが、昨日一日のあらすじはこんな感じでした。
今日は、息子と二人で、イベントに参加してきます。それは、親子で力を合わせて工作をするというイベントです。
これについても、参加するのは初めてです。
初めての場所に親子で参加して
親である僕が
どんなふうに場の雰囲気に溶け込んでいくのか?
これをこども達に見てもらうというのは、すごくいいことだと感じております。
こういうことは学校では教えてくれませんからね。
しかも、言葉では教えにくいことがあり、見てもらうのが一番早いと思っています。
こども達は、これから「初めての場所・場面」にたくさん出会うことになります。そのときに、ほかの人たちと“協力的”に接していき、何か取り組むべき課題があるのであれば、“協力的”に解決していく。
つまり、ほかの人たちと協力的な雰囲気を作るというところを一緒に体験して行くということです。
これは、社会人になったときもすごく役立つ能力だと思います。
というか、どんな仕事をするにしても、ほかの誰かと協力的な関係築くということは必須なことだと感じています。
しかも、こういうことは、こども達が保育園に通う今ぐらいの年齢のときに見てもらうのが最適なのではないか?と思っています。
それは、こどもが親と一緒にお出かけしてくれるのも、小学校低学年までだと思うし、もし、小学校から、なにかしらのスポ少などに入った場合は、親子で出かけるというよりはスポ少の仲間たちと過ごす方が多くなってくるのではないかと思うからです。
だから、一緒にいろんなところに出かけれくれる今が貴重な時期だということを肝に銘じて、今日も親子で工作イベントに参加してこようと思っています。
春は何かを始めるのにはちょうどいい季節です。
今日も幸せな一日を選択できますように。
アンパンマンの必殺技はアンパンチじゃなくて、バイキンマンと仲良くできることだと思うよ。
このブログが僕の中ですごく面白かった。
それで、ブログを拝読させていただき、
「あっ、そろそろ、自分もパパとして、アンパンマンについて語らなければならないときが来たか。。。」
と勝手にそう思ったのだった。。。
小さいこどもなら、ほぼ、みんなアンパンマンが好きだろう。だが、悲しいかな、大人になると、それがどんな話だったのか忘れてしまうんだ。
僕は自分が小さいときに、アンパンマンを見た記憶がなかった。でも、そんなはずはない!だけど、僕はこう言いたい
「記憶にございません。」
あなたも、今話題の証人喚問で追及されたら同じように答えるのではないだろうか?
さて、アンパンマンってどんな話か知っていますか?そういわれても難しいだろう。だけど、アンパンマンの話って、大人になってから、改めて見てみると、どの話も(なんなら、絵本とかも)ストーリーは共通しており、しかも一言で言い表すことができる。それは
ということだ。結局はこの一言に尽きてしまう。そこに、肉付けとして、いろんなキャラクターが登場してくるんだ。
僕は、こども達とよくアンパンマンを見ながら思うことがある。それは
「アンパンマンを通してこども達に何を学んでほしいのか?」
ということだ。ちなみに、あなたならアンパンマンを通して、こどもに何を学んでほしいと思いますか?おそらく、多くの人はこう思うのではないか?
「悪いヤツはやっつけろ!」とか
「正義は必ず勝つ!」など。。。
確かにこれは正しいことだと思う。ただ、この考え方には一つ気を付けなければならないポイントがある。それは何かというと、
「正義か悪かを決めるのはだれか?」
「良い悪いを誰が判断するのか?」
という視点が抜けていることだ。
例えば、大人のあなたに少し考えてもらいたいのだが、車を運転しているときに、法廷速度40キロの道路を50キロで走るのは悪いことですか?
もう少し質問をタイムリーにしてみよう。
籠池さんって悪い人ですか?
どうだろう?
前者の例でいうと、明らかに広い道で、法定速度40キロをきっちり守って走ると、後ろの車が渋滞するかもしれない。これはいいことなのかわるいことなのか。。。
後者の例で言うと、ニュースでみる籠池さんの発言を聞いていると、まあ、言わんとしていることはわかる気がしないだろうか?
つまり、何が言いたいか?というと
「正義か悪か良いか悪いかは見る人によって変わる」
ということだ。
この視点がぬけて、「悪い奴はやっつけろ!」とか「正義は必ず勝つ!」ということが“正しいんだ”とこどもに教えると、おそらくこういう考え方になってしまう「自分は正しくて相手が間違っている。」と。。。さらに、間違っている相手には言葉の暴力や、それでも聞かなければ、物理的な暴力を加えても構わないと。。。
僕たち親がアンパンマンを通して学んでほしいことってそうじゃないはずだ。かといって、まだ保育園や幼稚園のこどもに、「何が正義で何が悪か」みたいな話って難しすぎてわからないと思う。っというか、大人でも難しい問題だ。
そこで、僕自身が考える、アンパンマンを通してこどもに学んでほしいことって何か?それは
「アンパンマンはバイキンマンが何もしないときはとても仲良しなんだよ」
ということだ。つまり、こども達には、バイキンマンというだけで、条件反射のように「悪いヤツ」と決めつけないで、まずは、そこを学んでほしい。これなら、子どもたちにも十分理解できるはずだ。
じゃあ、どうやってそれを学んでもらうか?これにすごく最適なシーンがある。それは、アンパンマンが放送されるとき、毎回映るシーンだ!!!今日はそれをご紹介しようと思う。。それはこのシーンです。
アンパンマンとバイキンマン、何もないときは一緒に仲良く、そして気持ちよさげにお昼寝をしているんですよ!
これは、僕がアンパンマンの中でいちばん好きなシーンだ。ちなみに、オープニングが終わった直後のシーン。
そう、そうなんだ。どんなに正反対に見えても、どこかで一致するはずだ!水と油がドレッシングになるように、正義と悪もどこかで交わり仲良くできるはずなんだ。
その一致点をアンパンチでなくコミュニケーションで探してほしい。それを教えるのも子育ての一つだと思う。ゆっくり、ゆっくりとね。。。
最後に、作者のやなせたかしさんが書かれた詩で
僕が胸を打たれた詩の一つをご紹介して終わりにしたい。
絶望の隣に
だれかが
そっと腰かけた
絶望は
となりのひとにきいた
「あなたはいったいだれですか」
となりのひとはほほえんだ
「私の名前は希望です」
こんな毒にも薬にもならないブログですが、シェアなど頂けると、アンパンマンの顔を濡らすことに成功したバイキンマンのごとく喜びます。。。
ハーヒフーヘホー
金曜ロードショー「おおかみこどもの雨と雪」に子育ての極意を思う。
今夜の金曜ロードショーは「おおかみこどもの雨と雪」だ。僕はこの映画を前に見たことがある。すごく名作だと思った。なぜか?それは、この映画が“子育てそのものだ”と感じたからだ。どんは話なのかは見てほしい。特に子育て中の人には。だから、この映画の詳しい内容は書かない。そのかわりに僕がこの映画を見て感じたポイントを書いてみる。
1、こどもは親のしらない間に大きくなっているということ。
2、こども自身がどういう生き方を選ぶかという過程で大きくなっていく。
3、こどもの人生を親が選んであげるわけにはいかないこと。
ここで一つ、僕の好きな言葉を紹介したい。
あなたが子どもにさせたいことをさせるのではなく、子どもがしたいことをあなたが援助するのです。このことを忘れないでください。
(アドラー心理学のグループ体験に基づく育児学習コースのテキストより)
そう、そうなんだ。いつだって親はこどもの味方だし、仲間だということを忘れてはいけないと思う。親がこどもの敵になってしまっては、居場所がなくなってしまう。
例え、オオカミで生きる道を選んだとしても。
親は、オオカミを狩る猟師になってはいけない。
こどもがオオカミならば、親はもののけになり、オオカミと共に生きるべきなのだ。
お前にあの子が救えるかッ!
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アサドリのブログ56
おはようございます。
今日も一日が始まりますね。
今週は病んでいたのですが、今日は完全に復活という感じです。
もとの体調に戻ったといえば、そうなのですが
体調を崩してみることで、普通でいることがどれほどありがたいことか分かるきっかけになりますね。
自分が病気になったときって普通なことが普通じゃなく
特別だと感じることができます。
それは、自分が病気になることで、
まず、自分自身が、普通の自分ではなくなっています。
なので、普通の自分ではない自分が他の人と接すると
当然、自分に対する他の人の態度も変わりますね。
たいていは
優しくなるというふうに変わるのではないかと思います。
普段は、怒ってばかりの人が
自分が病気のときは優しくなるといった感じですね。
人って誰でも優しくされると嬉しいし甘えたいモノです。
病気という弱っているときはなおさらありがたいものですね。
だけど、ここで弱っているときは助けてくれることが当たり前になってしまうと、良くないのではないかと思うのです。
つまりは、自分が弱かったら、他の人が助けてくれる。
自分は弱い存在だから助けてもらえるのが当然だ。
こういうふうに思うようになると、自分から他の人の役に立つように行動したりできなくなってしまうのではないか。
そんなふうに思いました。
もちろん、本当に弱ってしまって動けないときは仕方がないのです。
しかし、そうでもないのに、自分が弱いことを利用して相手の優しさを引き出すという作戦はあまり良くないのではないかと思ったんです。
例えば、僕の場合で言うと、病気が治りかけのとき。
治りかけということは、まだ治ってはいないわけで、病気というふうに言うこともできます。
また一方で、もうほぼ治ったということもできますね。
今回、僕が病気をしたときも、こんな風に思う瞬間がありました。
それはつまり、病気という非日常な体験から
病気が治るという日常に戻るその瀬戸際。
その時に、
「もう少し休ませてもらおうか。」
と思いました。
しかし、そうすることは選ばず、
「自分にできることはしよう」
と思うことにしました。
自分への戒めの意味もこめて。
もちろん、治りかけのときに無理をしてしまうと余計ひどくなり
また、病気がぶりかえしてしまいますね。
それは避けなければなりません。
無理をせず、自分にできることをする。
だから僕は、自分がトイレに行った後に
便器の掃除をすることにしました。
掃除といっても、本格的に行うのは難しかったので
せめて、トイレ用のウエットティッシュみたいなやつで
便座や便器の回りを拭くことにしたのです。
これだと、他に家族に病気を移してしまう確率が低くなると考えたし
これぐらいだったら、自分にもできると感じたからです。
まぁ、何がいいのかはわかりませんが
病気になってから、そんなことを考えていました。
おかげさまで、今日は体調も復活しました。
今日からまた普通の男の子に戻ります(笑)
今日も幸せな一日を選択できますように。
アサドリのブログ55
おはようございます。
今日はすこしあたたかい朝ですね。
といっても、真冬のころと同じそう日で外に出ているので
そう感じるのかもしれません。
もうそろそろ、春用の服装にしないとダメですね。
この二日間、胃腸炎で熱と下痢でした。
病気になるのは久しぶりで
新鮮な気もしましたが、しんどかったです。
やっぱり元気が一番ですね。
ただ、病気になってから気づくこともありました。
まず一つ目は、やっぱり健康が一番ということですね。
健康に生活できてこそ、楽しい毎日が過ごせる気がします。
二つ目は、病気になったときに、家族がいてくれて良かった。とつくづく感じますね。妻がむいてくれたりんごが美味しかった。こういうときに、あらためて家族っていいなぁ~と感じました。
三つ目は、家族のためにも早く元気になろうと思えたことです。
特にこどもは達がすごく心配してくれていました。少し不安そうに「大丈夫?」と聞いてくるこどもの様子を見て、あぁ、早く元気になりたいなぁ~。ということ気持ちが強くなりました。
病気はしんどいし、できることなら健康でいたいですよね。
しかし、健康というものに慣れすぎると
それが当たり前になってしまい、
健康でいられることのありがたさとか感謝というものが
薄らいでしまうものです。
誰だって大きな病気はしたくありません。
しかし、胃腸炎ぐらいの軽い病気なら
たまにはかかった方がいいのかもしれません。
なぜなら、今まで当たりまえすぎて見えなかったモノが
見えるようになるかもしれませんよ。
今日も幸せな一日を選択できますように。
アサドリのブログ54
おはようございます!
昨日から胃腸炎になっています。
下痢と熱でした。
熱が高かったのですが今はだいぶ落ち着いています。
それで、今日はこんな本を読んでいます。
病気の時ほどありがたい。。。
今日も幸せな一日を選択できますように。