アドラーパパの家族会議。

家族の、家族による、家族のためのブログ

「また一つ、終わったなぁ。」

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昨日、息子が保育園から帰ってきたときのこと。家に入ってくるなり、手で持ったセミを僕に向けて「ウィ~ィィィ!!!ホレェェェ~!!!」と言って来た。

このブログで何回も書いているが、僕は虫が触れない。

 

それで、息子は昆虫に興味があるが、まだ自分で捕まえるということはできるようでできていない。そんな息子が、昆虫の中でもレベルが高いセミを手に持ち、僕の方にハイテンションで向かってきている。

僕は言った。「ちょっと待って、ホンマにやめて!」

しかし、息子は攻撃の手を緩めない。「フォォォォ~!!!ハレェェェェ~!!」と嫌がる僕の姿を見てさらにボルテージを上げていった。

これはまずい!と思い、僕は息子から離れようとするが、当然息子は僕の後を追いかけてくる。どこまでも、どこまでも、追いかけてくる。

僕は思った。これは逆効果なんだ。つまり、逃げれば逃げるほど、息子は追いかけてくる。ならば、息子の行動に対して、反応しないようにするということが一番の対策ではないか?

そういえば、あの有名なマザーテレサもこんなことをおっしゃられている。

「愛の反対は憎しみではなく無関心だ」

という名言をお残しになられている。

僕は息子の行動に対して、逃げたり、嫌がったりという反応をすることで、息子に注目関心を寄せているのだ。息子は僕から「嫌がるという反応」を引き出すためにセミを僕に近づけてくるのだ。

そう思った。

つまり、息子がセミを僕に持ってくることに対して、「嬉しくもなく、悲しくもない。」という態度。これが、セミの霊がとりつき、ボルテージが極限まで上がった息子を落ち着かせる唯一の方法だ!

そんな風に思った。

とりあえず僕は、半眼になった。目を開くでもなく、目を閉じるでもない。息子を見るでもなく、見ないでもない。息子の声を聞くでもなく、聞かないでもない。。。

そしたら息子の声が聞こえてきた。

「お父ちゃん、これ、死んでるから大丈夫やで!」

僕はこう思った。


なんやとッ!!!!!


ワシをハメたんかッ!!!!!


その時すでに、僕の目は半眼から、浜崎あゆみのようにパッチリ二重になっていた。(注:普段は一重です。)

何かがおかしいと思っていた。今までセミを捕まえたことがないのに、急にどこからかセミを持ってきた息子。

今考えると、やかましいぐらい鳴くのが仕事のセミなのに、まったく鳴いていなかったこと。

そうか、セミを捕まえたんじゃなく、死んだセミを拾って来たのか。僕はそこで気づいた。

そっかッ!じゃあ、驚くことはないじゃない。なんてことない・・・・・・・

ってことはないッ!!!!

やっぱり気持ち悪いッ!!!!

すると、息子は僕の目の前にセミを差し出した。そしてこう言った。

「お父ちゃん、持ってみて。」

一瞬、持ってみようかと思った。だけど、さっきから、セミのつぶらな瞳と、僕の浜崎あゆみのようなパッチリ二重が、見つめあっているのだが、、、正直に言おう。。。


セミってグロテスクッ!!!!


生きていようが死んでいようがやっぱりセミはセミだった。僕にはさわれない。だから息子にこう言った。

「無理や、さわれん。」

すると、息子はこういった。

「大丈夫!死んでるから!」


死んでるかどうかは問題じゃないんや。セミかどうかが問題なんや。セミは無理なんや。。。

「ホンマ無理や。さわれん。」

 

すると息子はこういった。


「セミ、死んでるんで!動かんから大丈夫!噛んだり、飛んだり絶対せんから!僕と同じところ持ってみて!大丈夫やから!」

 


なんと、、、なんとまぁ、、、ご立派になられて。。。。(涙)

 

僕は息子がこう言ってくれたことが嬉しかった。何というか、父親として、息子が僕のことをまた一つ越えていった。それが嬉しいのだ。

いつまでも、子どもと思っていた息子。僕の中では子どものままだ。いや、僕が勝手に息子のことを子どもだと思いたかったのかもしれない。

しかし、5歳の息子は、僕が知らないところでいろんなことを吸収して大きくなっているんだなぁと感じた。それが嬉しかった。

僕の目の前にいる息子は、子どもではなく、少年だった。

だって、家に帰ってくるなり、いきなりセミを持って入ってきて、34歳の父親を追いかけまわし、最後には、セミを触れない僕に対して、力強く後押ししてくれた。

僕は息子にこう声をかけた。

「ホンマ、たくましくなったなぁ!セミを持ってかえってきて、お父ちゃんを追いかけまわす日が来たんやなぁ!」

しかし、やっぱりセミは触れない。だからこう続けた。

「そのセミ死んでるんやろ?やったら、また来年セミが帰ってくるように外の草の中においてあげよう。」

すると息子は「うん!」と言った。僕と息子は外に出て、家の近くの草が生えているところを見つけ、そこにセミをおいてあげた。

これを書いている今も、けたたましいセミの鳴き声が聞こえる。

しかし、一方で、その役目を終え、力尽きるセミもいる。

まだ7月だが、少しだけ夏の終わりを感じる。草の上に置いたセミを見てそう感じたのだった。

すべてのものには、始まりがあれば終わりがある。

これは子育てだって同じだ。

僕が息子に教えてあげられること。心のどこかでまだ子どもだと思っていた僕の息子。でも、たくましい少年に成長している。

そして僕はこう思う。

あぁ、また一つ子育てが終わりに近づいたなぁ~。

これは、どんなに時代が進化しても、この流れだけは変わらないと思う。

古いものが去って、新しいものが生まれる。

 

この流れの中、みんながひしめき合い、命を燃やし生きている。


夏も、冬も。

セミも、人間も。

僕も、息子も。

 

終わりがあって、始まりがある。


僕はそう思う。


ーおしまいー