発酵と思考11『形のない財産』
家族に何が残せるだろうか?そんな風に考える。子どもが生まれてからか、自分の人生の終わりを意識するようになった。といってもこれは暗い話ではない。いつか終わりを迎えるからこそ、今が輝くのだ。まるで花火のように。
この感情の名前が「愛おしい」ということに、僕は気づいた。
「恋」に終わりはない。だが、「愛」はいつか終わる。いつか終わるその日まで、できるだけのことをしよう。僕にできることは何だろう?僕に何が残せるだろう?
例えば、「味噌の作り方」なんてどうだろう?小倉ヒラクさんの著書「発酵文化人類学」にこんな文章がある。
小泉センセイは僕の顔を見るなり、
「お前ッ・・・さては免疫不足だな。味噌汁飲め!納豆と漬物食え!」
と猛烈プッシュ。
で、それを実行してみたところ、あら不思議、だんだんと朝の低体温&低血圧がなくなり、それとともに喘息もアトピーもおさまっていったのでした。著書:発酵文化人類学 P23~24
例えば、僕がいなくなった後も、僕の教えた「味噌の作り方」は受け継がれたとする。それは子どもに受け継がれ、子どもたちが大人になり、新しい家族ができ、その中でも受け継がれる。
僕はいつかいなくなる。
だけど、僕が教えた「味噌の作り方」は生きる。正真正銘、発酵し菌が生きている味噌だ。スーパーで売られている”味噌風味の味噌”とはわけが違う!
そして、もしも子どもたちが、生きることに疲れたときは、そっとこう言ってあげたい。
「まあ、味噌汁でも飲んでゆっくりしようや。」