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家族や子育てについてのカタログ

「お兄ちゃんと妹の育て方の違いで書いておきたいこと」

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テンプレートに当てはめるのはあまり好きではありません。でも、せっかくテンプレートがあるのだから興味本位で当てはめてみたくなるのがテンプレート。そのテンプレートに当てはめた結果、気づいたことがあったという話です。

 

どんなテンプレートか?というと、アドラー心理学でオーソドックスに言われている"きょうだい"の間で見られるライフスタイル形成の違いについてのテンプレートです。

僕の尊敬する野田先生の本からご紹介します。

 

まず、一番上の子。男であれ女であれ、きょうだいの中の一番上の子というのは、どんな位置にあるかと言いますと、生まれてしばらく一人っ子だったわけですよね。あるときお母さんは病院から弟や妹を連れて帰ってきます。そして、「これはあなたの弟よ、かわいいでしょ。今日から一緒に暮らすことになったから、絶対に差別しないで平等に扱うから、だから仲よくしてあげてね。」と言います。
 けれども、子どもの立場に立ちますと、これは妙な話なんです。まず「かわいいでしょ」って言うけれど、「こんなもの、猿みたいで全然かわいくない」と思いますね。

~中略~

たとえて言えば、男性が、ある日、奥さん以外の女性を家に連れて帰ってきたみたいなものです。そして「これは今日からセカンドワイフ。あなたとまったく差別しないで平等に扱うから、仲よくしてやってね。」と言うと、奥さんは逆上しますよね。これとまったく同じ状況が、きょうだい関係の中では、一番上の子に起こっているわけです。
 そこで、一番上の子は、その失われた王座を回復するために、何らかのアクションを起こさなければなりません。これが一番上の子のおかれた、一種の劣等性ですね。それを保証するのに、もちろん建設的回答と破壊的回答があります。
 建設的な回答というのは、たとえばどんなものかと言いますと、この新しくやってきた下の赤ちゃんにくらべて、私は能力が優れている、たとえばこれもできるし、あれもできるということを見せることによって、親の注目や関心や賞賛を引こうというような動き方です。

~中略~

一番下の子は、自分には能力がないこと、自分の力ではいろんなことが解決できないのだということを示すことで、親の注目や関心や援助をかえって引き出せるという立場にありますので、そのために特有のライフスタイルを発達させる可能性があります。
 一番下の子が、こういった地位に対して建設的な回答をしますと、人から愛される人物になります。

著書:劣等感と人間関係 著者:野田俊作 P75~78

 

一番上の子と、一番下の子についてのテンプレートを書きました。ちなみに、どちらの子もライフスタイルの発達のさせ方について建設的な回答のみ書きました。破壊的な回答が気になる方は、ぜひ、本を読んでみてくださいな。

 

劣等感と人間関係 (アドラー心理学を語る3)

劣等感と人間関係 (アドラー心理学を語る3)

 

 


☆我が家も当てはまっているように見える☆

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わが家は5歳の男の子と3歳の女の子です。それで、うちはどうか?と考えてみると、息子も娘もこんな感じです(笑)

例えば、食事。

息子は、自分で食べて、食器をキッチンまでもっていってくれることがほとんどです。言われなくても持って行ってくれるので、本当に助かっています。

娘は、どうかと言うと、だいたい毎日「ご飯食べるの手伝って。」と言います。そして、食器を持っていくこともあれば、そのままのこともあります。

つまり、息子は野田先生の本の中でいうところの、"第一子の劣等性"を建設的に回答しているわけです。

どうだ、僕の方ができるんだぞ!っと。

カワイイ。

それで、下の子はどうかというと、そんなお兄ちゃんに、ご飯を一人できれいに食べることや、食器をキッチンまで運んでいくという"土俵"で勝負すると負けてしまうので、「親に協力を求める」というお兄ちゃんとは別の手段を選んだわけですね。

これも、下の子の劣等性を建設的に回答した結果だと思います。

親としてはお兄ちゃんと競わず、争わず、別の方法を選んで穏やかにライフスタイルを形成しようとしてくれてよかったと感じています。


☆危うく育て方を間違えるところだった☆

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それで、何に気づいたかと言うと、それは最近、妻と子育てについて話していた時のことです。僕自身ホントに無意識に「息子と娘を比べようとしている」と気づきました。

比べようとしていただけで、実際にあからさまに比べたわけではないので、未遂ということで許していただければ助かります(笑)

それで、どんなふうに比べようとしていたのか?というと、例えば、先ほどの食事の霊で言うと、娘に「お兄ちゃんのように一人で食べて、食器をキッチンまでもっていってほしい。」と思ってしまっていました。

もちろん、それができることは、家族に貢献することなので、すんばらしいことです。

ですが、それができないことが悪いことでもありません。

にもかかわらず、僕は「一人でなんでもできることがいいことだ。」と思ってしまっていました。

だから、つまるところ、娘を息子側に寄せて育てていこうとしてしまうところでしたんですね、ボク。

あぶねぇ、あぶねぇ~!

アドラー心理学を学んでよかったと思うことの一つに「自分の間違いに気づくようになった」ということがあります。

アドラー心理学の子育てに模範解答はありません。こうすれば絶対にうまくいくという"魔法"はないんです。

ですが、『この子育ての仕方はたぶん間違っている』ということには気がつけるようになってきたと感じています!

これは、アドラーと、ドライカースと、シャルマンと、野田先生の教えのご利益ですね。

それで、これから娘に対してどんな風に接していこうか?ということですが、

例えば、食事の霊で言うならば、こんな声掛けをしていきたいと思っています。

娘「手伝って」

僕「いいよ、○○(おかず名)は一人で食べれたんだね!」

とか、

(娘のご飯を手伝いながら)

僕「□□(娘の名)がおいしそうに食べてくれるから嬉しいよ!」 


こんな風に声掛けをすると、娘はきっとこう思ってくれるでしょう。

『お父ちゃんは私の仲間なんだ。』と。

何も一人で全部できるだけが自立ではありません。

自分ができないことをちゃんと把握し、誰かに対して言葉で援助を求める。

そういうことも、自立の第一歩になりますよね。

 

そんなことに気づきました。

 

ーおしまいー