「あたりまえにありがとう。」
日々、生活をしていて、最近気づいたことがある。それは「あたりまえにこそありがとうを言おう」ということである。これは、子育てに限らず、夫婦関係の中でもそうだと思う。
あたりまえが当たり前になってはいけない。あたりまえにこそありがとうを言いたいと思うのである。
☆レベルが高い「ありがとう」☆
『ありがとう』にも〝レベル゛があると思う。僕たち大人がよく言うありがとうという言葉。例えば子どもが何か特別なことをしてくれた時。どんな状況かというと子どもがおもちゃのお片付けをしてくれた時。
親が何も言わなくても子どもがおもちゃの片づけをしてくれた時。
もう少し言うと、子どもが、何も言わなくても、食後の食器を片づけてくれた時。
こういう状況で大人は子どもに対して何という言葉をかけるだろう?
子育てだけじゃない。
例えば、妻がいつにもまして、例えばビーフストロガノフとか、ボルシチなどの特別な料理を作ってくれた時。
ロシアンテイストですいません。(笑)
また別のシチュエーションなら、妻がお小遣いをいつもの3割増しにしてくれた時。
タクシーみたいですいません(笑)
こういう状況で夫なら妻に対して何という言葉がけをするだろうか?
言うべき言葉はもちろん決まっている。
「ありがとう」だ。
子どもがおもちゃの片づけをしてくれた時、子どもが食器を運んでくれた時。
妻がビーフストロガノフを作ってくれた時、妻がボルシチを作ってくれた時。
こういう状況って「ありがとう」という言葉がお似合いだ。なぜお似合いか?というと、その状況が"特別"だからだ。
自分にとって特別な状況でありがとうを言うのってすごく簡単である。だって自然と言葉に出せるでしょう?
なぜ自然と言葉に出せるのか?それはレベルが低いからだ。
それで、これは補足として付け加えておきたいのだが、上にあげたような状況で「ありがとう」という言葉を発するのが悪いということではないし、もちろん、「ありがとう」を言わないでいいということでもない。
ただ、"すんなり"ありがとうが言える状況だ、という意味で『レベルが低い』という言葉を使ったということで理解していただきたい。
☆あなたはこんな状況で「ありがとう」を言えるかな?☆
先ほど書いたような状況で「ありがとう」という言葉を言うことは、さほど難しいことではない。ではこれから挙げる状況で「ありがとう」って言えるかな?
例えば、子どもがおもちゃの片づけはしてくれない、でも、お気に入りのおもちゃで遊んでくれているとき。
例えば、子どもが食器の片づけはしてくれない、だけど、大好きなお肉はきれいに食べてくれているとき。
例えば、妻がビーフストロガノフは作ってくれない、だけど、おいしい肉じゃがは作ってくれた時。
例えば、妻がお小遣いを3割増しにはしてくれない、だけど、いつも通りお小遣いをねん出して渡してくれた時。
このような状況で「ありがとう」って言えてますか?
こんなことを書いていて申し訳ないのだが、僕はほとんど言えていない。だからこれは自分の戒めという意味でも書いている。
もちろん、感謝はしている。言い訳がましいが、心の中で感謝はしているんだ。だけど「ありがとう」という言葉にして言うのはしていない。
なぜしていないか?というと、自分の中であたりまえになってしまっているからだ。
みなさんはどうだろう?
ここで、こんな意見も聞こえてきそうだ。
もちろん、僕の幻聴だ。
・えっ、子どもが大好きなおもちゃで遊んで何をありがとうっていうの?
・えっ、子どもが野菜は食べずに、好きなお肉だけ食べてそれでいいって言うの?
・えっ、肉じゃがなんて誰でも作れるじゃない?
・えっ、他の人に比べて、小遣いは少ないのに、渡してくれてありがとうなの?
これは僕の意見だが、これらはすべて「ありがとう」というべき状況である。
なぜか?これは逆の状況を考えればすぐにわかることだ。
例えば、
・子どもがせっかく買ってあげたおもちゃに対して「やっぱりこのおもちゃは面白くない!」といってまったく遊ばなかったら?
・子どもが、「こんな料理まずくて食えるかッ!」といった時に家族の雰囲気はどうなるか?
・妻が、「今日は作るのがめんどくさいからコンビニでおにぎりでも買ってきて」といって、500円渡してくれたら?
・妻が、「お前の安月給じゃ、渡す小遣いもねぇわッ!」といって旦那デスノートに書き込んでいたら?
もし、このような状況だとどうだろうか?
これが特別な状況ではなく、もしかすると、このような状況になってしまう可能性も無きにしも非ずだ。
もしそうなら、、、僕は寂しい気持ちになってしまう。
だからこそ思うんだ。
あたりまえにこそ「ありがとう」を言おうと。。。
☆「生まれてきてくれてありがとう!」☆
ところで、いちばん、『言いづらいありがとう』って何だろう?
子育てにおいて言うなら、僕は
「生まれてきてくれてありがとう!」
というありがとうだと思う。
これって誰もが認める素敵な言葉じゃないか?これ以上のありがとうはないと思っている。これは、子を持つ親ならだれもが感じていることではないだろうか?
しかし、僕はこの言葉を4年に1度ぐらいしか口にしない。
なぜかというと、何度も書いている通り、当たり前になっているからだ。
もちろん、いつでもこういう気持ちは心の中で持っている。ただ、言葉にして伝えるか?と言われると、なかなか伝えていない。
僕がこんなことを言うのもおこがましいが、これってあたりまえのことなんだろうか?
もしかするとそうではないかもしれない。
自分が当たり前と思っていることって意外とすぐに壊れてしまうのかもしれない。
例えば、現在は午前3:42だ。
妻や子供たちはスヤスヤと眠っている。
しかし、、、
明日元気に目覚めて「おはよう」って言い合える保証ってどこにあるのだろうか?
僕は思う。
人生において万事あたりまえはない。
だから、明日がくるなら必ず言うことにする。明日は必ずこの言葉を言うことに決めた。
少し照れくさいけど、子どもたちにこう言ってみようと思う。
「生まれてきてくれてありがとう!」
そして、妻には何というか?
伝えるべき言葉は決まっている。
それは、長年、言いたかった言葉だけど、ここ最近、ずっと心の引き出しにしまい込んでいた言葉。
「俺と結婚してくれてありがとう。」
明日は妻にも、、、そう伝えよう。
そういえば、さっきから、BGMでこんな歌が流れている。
これは、もうかれこれ、8年前。
僕と妻の結婚式のBGMで使った曲だ。
長い間君に渡したくて~♪
強く握り絞めていたから~♪
もうグシャグシャになって~♪
色は変わり果て~♪
お世辞にもきれいとは言えないけど~♪
そう、ミスチルのギフトだ。なつかしい。
この曲が、さっきから、聞こえて耳を離れない。
ところで、このBGMがどこから流れているかって?
もちろん、僕の幻聴だ。
ーおしまいー