アドラーパパの家族会議。

家族の、家族による、家族のためのブログ

「34歳の父。3歳の娘から生きる姿勢を学ぶ。」

 

f:id:solidka2yuki:20170718225456j:plain

先日、僕が出かけようとすると、3歳の娘がこんなふうに送り出してくれた。

 

「いってらっしゃい!迷惑かけんようにね~」

 

これはとても興味深いお見送りの仕方だ。今まで、「行ってらっしゃい」の後には「きをつけてね~」とか「早く帰ってきてね~」などの言葉が来るものと思い込んでいた。

だが、今回3歳の娘から言われた言葉は

迷惑かけんようにね。。。

だった。

それで、僕はこんなことを思った。


「生まれて、すみません。」

 

今日の目次です。こんな内容で、すみません。

 

 


☆迷惑のかけあいっこ☆

f:id:solidka2yuki:20170718224620j:plain

たぶん、人生は迷惑のかけあいっこだと思う。僕も誰かしらに、何かしらの迷惑をかけて日々生活をしている。そして、僕も誰かしらの迷惑を引き受けて生きているような気がする。

つまり、お互い様なのだ。

ここで考え方って2つあると思う。一つは、自分も誰かに迷惑をかけられているのだから、自分も当然迷惑をかけてもいい。という考え。

もう一つは、自分はほっといても迷惑をかけてしまっているのだから、意識的に人様のお役に立てるような行動を心がけよう。という考え。

もちろん、僕は後者である。そのような「構え」で生きていこうと決心している。

とはいうものの、何かしらの迷惑は誰かしらにかけずには生きれないはずだ。自分では気づかない迷惑というものを誰かしらが引き受けてくださっている。

そんな風に思う。

だからこそ、少しでも人様のお役に立てるように生きていきたいと思うのである。


☆人間は不完全。不完全だから人間に生まれたんだってよ☆

そもそも、人間って不完全な存在だ。完ぺきではない。大なり小なり失敗をしてしまう。っていうか、今思うと、失敗しかしないのではないだろうか?

失敗は成功のもとという。確かにそうだ。失敗をすることで「次はどうしたらよいか?」という大切な気づきを得ることができる。失敗から得ることができるその気づきこそ、最も重要なことではないだろうか。

これは、多くの経営者やスポーツ選手の方々が共通して言っておられることだ。つまり、失敗からこそ、学べることがあるということだ。

しかし、だとすると、成功することに何の意味があるのだろうか?

そう考えると、成功することが一番の“失敗”なのかもしれないなぁ~

人間は不完全だ。完ぺきな人間はいない。

もちろん、「完璧だと思っている人間」や「完璧になろうとする人間」はたくさんいるが、おそらく、100年そこそこの短い人生じゃ完璧にはなれないんだと思う。

つまり、生きている以上、ずっと不完全であり、失敗の連続なのだ。

僕がどう思おうと、あなたがどう願おうと、これから先もずっと失敗し続けていき、思ったようには物事は進まないし、願ったようには生きられない。

人生は死ぬまで苦難の連続なんだと思う。

生きるってそういうことだし、そういう風に覚悟して生きていく方が潔いのではないか?と思っている。

あっ、ここまで読んで、「なんて暗い話。これだからネクラは嫌だわ!」と思った方もいらっしゃると思うのだが、僕はこれを暗い話だとは思っていない。

こういう書き方をすると、確かに未来に対して希望が持ちずらいかもしれない。ここまでの書き方からすると、「生きることは現在も苦しく、この先もずっと苦しい」という風に書いているのだから。

だけど、これは僕の考えだが、「楽な人生が必ずしも楽しいとは限らない」そんな風に思う。っとういか、楽な人生というのがそもそも間違いで、そんなものはないと思っているのだが、仮に「楽な人生」というものがあり、「生きることは、現在は楽でこれから先もずっと楽だ」という人生があったとるする。

果たしてこれっていい人生なのだろうか?

まあ、自分でもよくは分からないが、僕自身としては、「人生は苦の連続だ」と思っている。しかし、人生は悪くないと思っている。

それは、そんな「苦の連続の人生」をどうやって生きるか?は自分で選んでいけると思っているからだ。

そういう生き方をしているときに、人間としての姿勢が問われるのだと思う。


☆自分の不完全さを感じれるのも人様のおかげ☆

ところで、人間はなぜ不完全を感じるのだろうか?そう考えたときに一つ思い当たる節がある。それは「僕が不完全だと感じれるのも、人様のおかげ」ということだ。

例えば、僕はこの地球上で独りだけで生きているとする。そうすると、僕は自分のことを不完全だと感じることができるのだろうか?

おそらくできない。

不完全じゃない代わりに完全でもないと思う。こんな状態ってなんか楽しいのだろうか?生きている実感ってあるのだろうか?

これは逆に考えてみる。

「僕が不完全だと感じるのは、僕以外のほかの人がいてくれるおかげなのだ。」

これはもちろん逆も言えると思う。つまり、あなたが不完全なのは、僕を含めてあなた以外の人がいるおかげだ。ということだ。

僕とあなた。

不完全なもの同士、仲良くやっていきたいと思っている。


☆だからこそ寄り添って固まって生きていく!☆

僕もあなたも不完全。そして、僕の人生も、あなたの人生も、この先に待っているものは苦難の連続だ。

人間として生まれた以上、こんな状況に立たされている。僕もあなたも。

じゃあどうするか?

僕は不完全だし、人様に迷惑をかけてしまう。だけど、少しでもほかの人の役に立てるように生きていきたいと思っている。

っというか、そう生きざるを得ないのではないか?

だって

『僕もあなたも不完全。そして、僕の人生も、あなたの人生も、この先に待っているものは苦難の連続だ。』

こんな状況なのだから。

不完全はお互い様。迷惑をかけながら生きるのもお互い様。

だからこそ、お互いに寄り添って、固まって生きていくしか道はないんだと思う。

あなたはどうか分からないが、僕はこういう態度で生きていきたい。

今回、娘から言われたこと

「いってらっしゃい!迷惑かけんようにね~」

これに対して、僕はこんな風に返事をするとしよう。


「生まれて、すみません。ですが、生まれたからには、少しでも人様のお役に立てるよう精進します。」


ーおしまいー

*それではお聞きください。ユニコーンで大迷惑*


大迷惑 UNICORN