アドラーパパの家族会議。

家族の、家族による、家族のためのブログ

『相手は変えられないという生き方がすごく楽なのでおススメするよ!』

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『私はちゃんとしているのに、あの人は全然何もしてくれない。』これは、よく聞かれる言葉だ。例えば、現在、世間を騒がしている、松居一代さん。彼女のブログは、夫の船越英一郎さんへの攻撃で満ち溢れている。

 

松居一代さんのブログを全部見れたわけではない。だが、主な松居一代さんの主張は「船越英一郎の浮気が許せない」ということだと思う。

それに付随する形で、誰かに追われていたり、文春に対する攻撃につながっているのだと感じる。

まあ、人様の家庭のことだし、どの程度信憑性があるのか?はわからない。だけど、松居一代さんからは船越英一郎さんへの恨みつらみがすさまじいということは伝わってくる。

つまり、「船越栄一郎という男のせいで自分はこうなったのだ。」と


☆それ、幸せですか?☆

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松居一代さんの一連のニュースを見ていて思うのだが、この生き方って幸せなのかな?ということだ。もちろん、この生き方が幸せならそれでいいと思う。

ただ、松居一代さんの目的が「船越英一郎さんに謝罪させる」ということだそうだ。これって、二つ思うことがある。

一つは、謝罪のことばがなかった時にはどうするのか?

もう一つは、謝罪したとしてから、どのように生きていくのか?

ということだ。

前者は、船越英一郎さんから謝罪の言葉がなければ、ずっと、恨みつらみを抱えつつ、SNSを駆使して香華死して生きていくことになるのだろうか?

後者にしても、仮に船越英一郎さんが謝罪したとしても、そのあと幸せに生きていけるのだろうか?

意外と原因は船越英一郎さんじゃないかもしれない。


☆相手は変えられないということ。

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松居一代さんのニュースを見ていると、船越英一郎さんが実際に浮気をしてたかどうかもはっきりしていないようだ。

もし、浮気をしていたとしても、していなかったとしても、『相手は変えられない』ということだ。

それが、いいことか、わるいことか。

それは、いったん置いておいて、『相手は変えられない』ということは知っておいた方がいいのではないか?と思う。

相手は変わるかもしれない。だけど、相手は変えられないと僕は思う。

この、微妙なニュアンスの違いが判って頂けるだろうか?

相手は、もしかすると、こちらの言葉や、行動で変わるかもしれない。

そういうことはあり得る。

だけど、こちらの意図するまま自由に『相手は変えることはできない』のである。

この考え方はすごく便利だと思う。

どういう点で便利かというと、

変わるか、変わらないか分からないモノにこだわって生きる

という、苦行から脱却できることだ。

こういう物にこだわって生きていくのはすごく力がいるし、しんどいんじゃないか?と思っている。

つまり、復讐を目標にして生きていくことは、すごくしんどい気がする。

まあ、かと言って、本当に浮気をしていたのであれば、そこは冷静に対応し、社会的なペナルティを受けてもらうようにするのがいいかもしれない。

ようするに、相手を変えようと感情的に対応するのではなく、

冷静に、自分にできることがなんであるか?を考えて行動するほうが救いがあるような気がするが、、、

 

どうでしょうか?

 

ーおしまいー