「新発見!おとぎの国の娘に話を聴いてもらう方法!」
だから子育ては面白い!そう思えるときってどんな時だろうか?
例えば、新しい気づきや、発見があったとき。子どもは、日々、成長している。休むことなく、毎日、少しづつ。ときに失敗し、ときに成功し、その時々で、いろんなことを学びながら、大きくなっていっている。
親の方は、その成長スピードについていけなくて、しんどくなってしまうことがある。だけど、そんな親にとってはラクではない子育ての中で、子どもは僕に新しい発見や、気づきをあたえてくれる!
もう一度言う。子育てはけっしてラクではない。
ラクではないということの意味は二つある。一つは、身体的にラクではない、ということだ。子どもは日々、パワフルになっていく。保育園でどれだけ遊んで帰ってきても、一日寝たらへっちゃらだ。一方、親の方はというと、30代になってから特に、疲れが抜けにくいと感じている。
そんな中、子どもは、体力が有り余っており、大人は、日々疲労がたまっていく状態。
これが一つ目のラクではないだ。
二つ目のラクではないことは、子どもに、『何をどうやって学んでもらうか?』ということを、常に創意工夫していかなければいけないということだ。
いかに賞を使わず、いかに罰することなく、どうやって協力的に学んでもらうか?ここを試行錯誤しながら、子どもを常に観察し、こちらの意図が伝わっているかということを確認しながら一歩一歩まえに進んでいかなければならない。
どうやら、子育ては、体だけではなく、頭も使う。
ただ、ラクではないし、しんどいけど、楽しくないか?と言われるとそうではない。
育児は楽しいのだ!
子どもと一緒に学び、大人も育っていくことは、僕にとって楽しいことであり、かけがえのない時間を過ごしてもらっていると、心の底から思っている。
もう一度言う、何度でもいう。ラクではないけど、面白い!
それが僕の子育てだ。
☆僕は今まで来日3か月のアメリカ人に流暢な日本語で話をしていた。
それで、僕が最近気になっていたことを、どなたか聞いてくれませんか?
それは、3歳の娘に関することだ。
それで、娘と僕の関係性の中で『話を聴いてもらえない』ということがあった。というのは、3歳の娘は、まだ「おとぎの国」に住んでいる住人だということだ。
このおとぎの国に住んでいるという意味は、理論的な話が、まだできにくいということを意味していると思っている。
それは、
1、こちらの話を、違ったように解釈する
2、娘が話す内容が、空想的っぽい。(ファンタジー)
ということだ。
もちろん、これが『悪い』といっているのではない。
逆に3歳の女の子が理論的に話をしてきても怖いと思う。例えば、僕が
『お話を聞いてくれる?』というと
『それはできません。なぜなら、私は今から、このクマのぬいぐるみを使って遊ぼうと思います。もちろん、ずっと遊ぶわけではありません。父よ。父よ。私は今日、保育園で遊んでいるとき、家に帰ってからこのクマのぬいぐるみで遊ぶことを心待ちにしていたのです。父よ。父よ。いいですか?私は、クマのぬいぐるみで遊びたかったのですよ。すなわち、それはこういうことです。ここで大切なことは1)あなたに私が遊ぶのを邪魔する権利はない。ということ。2)話を聴けないといっているわけではなく、後で聞きますよ。この2点が大切ではないか?と私は考えています。父よ。父よ。同じ家族といえども、それぞれ、やりたいことがあるのですよ。』
なんて言われたら気持ち悪いですよね(笑)
だから、この年代特有の「ファンタジーの世界」も可愛らしいものです。なぜなら、もう少しすると、ファンタジーの世界から現実の世界に戻ってくるからです。
そうなると、今度は、父親である僕も"現実を突きつけられる"ことになります。つまり、、、
『お父さんウザイ・・・そして、クサ・・・・・』
イカンイカン、うちの娘に限ってそんなことは。。。
もう考えないことにする。
☆クマのぬいぐるみというイタコを通して話をしてみる
それで、3歳の娘はまだファンタジーの世界に住んでいる住人だ。なので、現実の言葉で話しても通じにくいということに気づいた。
これはちょうど、『日本に来てまだ間もない外国人に日本語でしゃべる』ということに似ている。つまり、相手は、なんとなく話は分かるが、完全に理解はできないということだ。
例えば、上のような状況でコミュニケーションを取ろうとするならばどうすればいいか?
簡単である。
こちらが英語でしゃべればいいのだ。
これを、うちの娘に当てはめてみるとどうなるか?
ある日、ふと気づいた。
「そうだ、このクマのぬいぐるみを通して娘とお話してみたらどうだろう?」
さっそく試してみた。
状況
- 保育園から帰って、子どもの仕事である“自分のリュックを棚に戻す”というができていない。
- 娘がちょうど、クマのぬいぐるみで遊ぼうと言ってそばに寄ってきた。
対応
クマのぬいぐるみを持ち、娘のほうに向けて腹話術のごとく、そして、ミッキーマウスのような声で。
父「やあ、こんにちは!」
娘「こんにちは!」
父「あなた、お名前は?」
娘「○○です!」
父「今日は保育園楽しかった?」
娘「楽しかったです。」
父「それはよかったね!ところで、保育園から帰ったらリュックはどうするの?」
娘「片づける!」
父「そうか!じゃあ、僕も一緒にリュックを片づけるよ!」
娘「うん!」
そういって、クマのぬいぐるみと一緒にリュックを片づけることができた。
父「ちゃんとリュックを片づけることができたね!」
娘「うんッ!」
こんな感じだ。
ちゃんと話を聴いてくれたッ!
今までは、最後まで話を聴いてくれないか、途中で、関係のないことを話し始めたりしていた。だから、どうしようかと思っていたが、この方法なら話を聴いてくれそうな感じがする。
これは新しい発見だった!
そして、この方法は便利だと感じた。
☆クマのぬいぐるみイタコ作戦で注意すべきこと
ただ、よくよくこの方法を自分なりに検証してみると、注意すべき重大な点が潜んでいるんじゃないかと思う。
それは
イタコ作戦で親の思い通りに娘を操ってはいけない
ということだ。
先ほどのリュックのお片付けでいうと、例えば、子どもが嫌だといっているのに無理やりに「リュックを片づけようよ!」としつこく言うとか、「リュックを片づけたら、遊んであげるよ!」というような言い方はしない方がいいと思う。
そのように誘導していくのはよくないんじゃないかな。
なぜなら、イタコ作戦の目的ってあくまで、「ファンタジーの世界の住人に話を聴いてもらうこと」だからだ。
けっして、相手を操ることではない。
娘は、僕のマリオネットではないんだ。
そうではなくて、娘とお話をするためのツール、それがイタコ。
例えるなら、アメリカ人には日本語ではなく、こちらから英語で話しかけるようなニュアンスだ。
それと、もう一つ、この作戦には重大なポイントがあるように思う。ここを間違うと、まずいんじゃないか?と思うことだ!
っが、それは、また、機会があれば書いてみようと思う。
書かないかもしれないけど。。。(笑)
何はともあれ、『クマのぬいぐるみイタコ作戦』は、僕にとって新しい発見だった。
そして、父親である僕が、クマのぬいぐるみに憑依して
娘と会話するということは、すごく、すごーく楽しい時間であった♪
なぜかって?
だって、もう少しすると娘は、、、
現実の世界の仲間入りをするのだから。。。(涙)
ーおしまいー