『親子は平等!子育てはじゃんけんのあいこだと思った話。』
☆少し前は男女平等。最近は夫婦平等。これからは親子平等だ!☆
最近、イクメンという言葉も死語になっている。というか、むしろ、イクメンと言われることに嫌悪感を抱く“イクメン”もいるようだ。
なぜ、イクメンという言葉が死後になり、なぜ、イクメンと言われると俗にいう“イラっと”するイクメンが増えてきたのだろうか?
これは、夫婦が平等になったのだと思う。
最近では、男女平等は当たり前だ。しかし、ふたむかし前だと、『男尊女卑』という言葉は当たり前だった。つまり、家でも社会でも男が偉くて、女は下に見られるといったことだ。会社ではもちろん、というか、女性が社会に出るなんて考えられない時代。女性はできるだけ早く結婚して、家庭に入るというのが当たり前だった。
今では考えられないだろう。
そしてイクメン。イクメンという言葉も死語になっていると僕は思う。それは、育児に積極的に参加する男性が市民権を得て、今では男性も育児に参加することが当たり前になったからだと思う。しかし、ひとむかし前だと、育児は女性がすることが当たり前だった。男性が育児をするなんて考えられなかった時代がある。
今では考えられないだろう。
それで、今回は親子平等。これについてはどうだろう?『大人である親と、子どもが平等』こう言われると、あなたはどう思うだろうか?受け入れられる人と、まったく受けつけない人に分かれるのではないか。感覚的に前者の割合が2割に対して、後者の割合が8割という感じか。
しかし、考えてみてほしい。男女平等だって、最初は受け入れられるのが難しかった。これは、イクメンだってそうだと思う。最初は男性が育児をするなんて、考えられへん!という状況から、少しづつ、進化していき、今では当たり前になったのだ。
つまり、男女平等も、夫婦平等も最初は受け入れられなかったということだ。
それで、男女平等から始まり、夫婦平等になり、次に目指すべきはどこか?それが『親子平等』だと思う。というか、そういう流れに確実になっていくと思っている。
これについてはパセージの中から引用したい
旧来の育児では<子育ての方法>もあまり深刻に考えなくてもよかったのです。効果がよくなくても、一貫性を欠いていても、合理的な根拠をもたなくても、封建的な時代には「親の権威」でもって思うとおりに子どもを支配できたのです。子どももそれをあたりまえだと思っていましたから、親の言うことに素直に従うことが多かったでしょう。でも、今ではそうはいかないのです。子どもは親と対等だと感じています。ですから、親の方も、対等の仲間として、合理的で筋が通った育児をしないと、子どもに背かれてしまうのです。
パセージ 著者:野田俊作 P 1-L より
つまり、これからの時代、子どもに怒ったり、ほめたりして子育てをしていても、何もいいことはないということだと思う。
たばこと同じ。百害あって一利なしだ。
昔のように、親の独断と偏見でもって、親自身が気に入れば褒めて、気に入らなければ怒るというような育児をしていると、これからの時代、子どもは自立することが難しくなると思う。また、親子がよい関係を築くこともできない。
この、スピーディで、多種多様になり、そしてどんどん活動の範囲が広がる時代に、自立できないということは致命的だと僕は思っている。
そのためにも、『親子平等』ということに早く気づいて行かなければば大変なことになると感じているわけだ。
☆我々は勝ち負けを決めてるんじゃないんだッ!分かってください!☆
親が上で子どもが下。あるいは、子どもが上で親が下。こういう『上下の関係』はこれからの時代にマッチしていないと思う。
これからは、子ども自身がどんどん、自分の能力を発揮して、自分で世の中の役に立って生きていく時代だと思う。
あたりまえだが、昔のように、親に勧められた地元のいい会社に就職して、そこで一生を安泰に暮らしていく、という人生は今の子どもは選ばない。
ということは、子どもには、ちゃんと自立して、どこに行っても幸せに暮らしていける術を教えていかなければならない。
それが親の仕事だと思っている。
なにも、いい大学に入ったり、いい会社に就職したり、お金をたくさん稼ぐということが、イコール幸せということにはつながらない。
そういうことを教えるんじゃなくて、子どもが、その子なりの方法で、社会に対して能力を発揮し、役立ち、必要とされるということを、親子が一緒になって模索していく時代なんだと感じているんだ。
それをするのに『上下の関係』は不便で仕方ない。そうではなくて平等、『横の関係』で一緒に協力しながら学んでいくのがこれからの育児だと思う。
そういう意味で「親子平等」なのだ。
☆じゃんけんであいこが続くということ☆
今までの育児をじゃんけんで例えるとおもしろいと思った。
例えば、男尊女卑だった時代。この時代の子育てって、男である父親が絶対的な権力を握っていた。つまり、オヤジの言うことは絶対!という時代だ。
この時代の子育てをじゃんけんで例えると、父親が一人でじゃんけんをしていて、子どもは、そのじゃんけんにすら参加させてもらえていない状況だと思う。父親が一人で決めてしまい、母親も子どももそれに従う士官かった時代だ。
もっとも、それが悪いとはいっていない。
ただ、今の時代には不便だと思うだけだ。
次に、イクメンが誕生する前の時代。この時代は、男女は平等になったけど、子育てにおいては母親がするものだという時代だ。こういう時代に、子どもと大人が平等なんて考えられないことだっただろう。
これをじゃんけんで例えると、さきほどとは違い、子どもはじゃんけんには参加できるようになった。しかし、子どもは親が言ったとおりにじゃんけんをして、常に親が勝つように仕組まれているという感じだ。
だからじゃんけんには参加できるようになったけど、じゃんけんに勝った者、つまり親が一番強い。子どもはじゃんけんに常に負けるので、親の言うことに随い続けるか、親とじゃんけんをするのをやめてしまう。
じゃあ、親子平等はどうなのか?これは、じゃんけんで言うと『あいこ』なんだと思う。親と子どもでずっとあいこが続いている状態。あいこの状態なので、どっちが上でも、またどちらが下ということもない。
だけど、あいこのままでは、ラチがあかないので、じゃんけんで上下を決めるのをお互いがやめて、『話し合いでどうするか、決めていきませんか?』ということである。
じゃんけんで、勝った上のものが、負けた下のものに命令し、言うことを聞かせるのではない。
どういう風にするのがいいのか?目標に向かって親と子ども、お互いが協力し合い進んでいくということだ。
じゃんけんは上下を決めるのではない。
じゃんけんの醍醐味はあいこの先にあるお互いの協力だ。
そう思った。
ーおしまいー