『海老蔵さんに学ぶ。人生は左から右にしか流れないということ。』
☆いつだって、人には役割が影のようにまとわりつく
自分の大切な人を、しかもこんなに早くに亡くしてしまった気持ち。計り知れない。もし、自分ならどうするか?いや、そんなことは考えたくない。
以前、こんな記事を書いた
family-base-camp.hatenablog.jp
これは6月20日の記事だ。子育てで、父親としての役割と、師匠という役割があったときにどうやって子どもといい関係を築いていくのか?という話だ。
この時は、歌舞伎役者の父と子どものことを一例に出した。これはまさに海老蔵さんのことを書いたのだった。海老蔵さんでいうと、カンカンとの関係ってどうやっていい関係を保っていくのか?
これに興味があった。
ちなみに僕自身は、父親としての役割しかない。父親としての役割だけでも大変なのに、海老蔵さんは、父としての役割だけではなく、師匠としての役割もセットである。
父親としての役割だけでも、大変だと感じるのに、それにプラスして、日本の伝統である歌舞伎を息子に受け継いでいる役目。これは相当大変で、いや、大変以上に重圧がのしかかっていると思う。これは海老蔵さんだけではなく、カンカン君も背負わなければいけない宿命なのかもしれない。
そして3日後、6月23日、麻央さんが亡くなった。
あれから海老蔵さんは毎日のようにブログを更新されている。拝見していると、なにか悲しい気持ちを吹っ切るかのように、いや、それは、天国にいる小林麻央さんに届けと願っているのかもしれない。
☆それでも人生はつづく。。。
大切な人をなくすのは悲しい。できることなら自分が変わってあげたい。。。そんな心境なのかもしれない。だけど、こればかりは、どうすることもできない。
大切なものを遺して旅立つほうもつらいが、同じぐらい大切なものを失うほうもつらいのだ。
以前、とある音楽家がこんなこと言っていた。
『音楽はね、左から右にしか流れないの。』
音楽の楽譜。メロディは必ず左から右に流れる。そして、ページは必ず、左から右へとめくっていく。
音楽は、左から右にしか流れないんだ。
これって、人生と同じだ。
人生も残念ながら、左から右にしか流れない。。。流れないんじゃない。。。流れ続けるんだ。
どんなにうれしいことがあっても、死にたいぐらい悲しいことがあっても、知恵の輪のように悩み苦しんでも、この上ない喜びがあったとしても。
それぞれの人生が、それまでそうだったように、刻々淡々と続いていくんだ。
先立とうが、残されようが、生きていようが、死んでいようが
それでも、人生は続いていくんだ。
そんな中に、僕たちはみんな、生きているんだ!
☆俵万智さんの短歌に偶然出会う
人はいつか死ぬ。これはだれにも止められない。だけど、死んでしまったらそれで終わりか?そうではないと僕は思う。
小林麻央さんの体は癌に侵された。だけどその心はいつまでも健康だった。
family-base-camp.hatenablog.jp
確かに、小林麻央さんの体は病に倒れてしまった。
しかし、こころは死ぬ瞬間まで健康だった。
健康であれば、死ぬ理由がない。つまり、心が健康だったのなら、体は死んでしまったとしても、心は生きている。
そう思っている。
当然、小林麻央さんに会うことはできない。だけど、小林麻央さんが残した、というより、伝えたかった『こころ』というものは、今までも、そして、これからも、ずっと生き続けるんだと思う!
悲しいときは、家族みんなで泣けばいい。悲しみをみんなで分かち合えばいい。
だけど、忘れないでほしい。
大切な人の、大切にしていた『こころ』は今、この瞬間も、ずっとそばで生き続けているということを、
忘れないでほしい。
ブログの最後に、偶然出合った俵万智さんの短歌をご紹介して終わる。
『いのちとは こころが感じるものだから いつでも会える あなたに会える』
ーおわりー