『遊んだから片付けるんじゃない、片付けるから遊ぶことができるんだッ!』
夫婦会議で『子どもが片づけしないこと』について話し合った。
family-base-camp.hatenablog.jp
先日の夫婦会議で、子どもの片づけについて話し合った。あれから夫婦会議がまだできておらず、僕たち夫婦の間では結論が出ていない。いや、結論というものは出ないのかもしれない。なぜなら、子育てに答えはないと思っているからだ。その場、その場で親も子どもも一緒になって考えていく。それこそが、唯一の道だと思う。
『子どもに何を学んでほしいか?』を考えている。
それで、あの日の夫婦会議から自分なりに、道を模索を探している。どういう道かというと「片づけを通して子どもに何を学んでほしいのか?」ということだ。これを目的地に設定する。その場所につくために、どういう道を通るのがいいのか?これを考えている。
権利と責任を学ぶなら、今だッ!
さて、「片づけを通して子どもに何を学んでほしいのか?」例えば、『親の言うことは聞かなければならない。』と学んでほしいとする。その目的地に達するためには、罰を使うのがはやいと思う。つまり、怒ったり、叱ったりするのがいい方法だ。
この方法なら、子どもは一発で言うことを聞くだろう。だから、『親の言うことは聞かなければならない。』という目的地に達するための道は『罰を使う』ことだ。
これは、僕の子育てとは合わない。違う道を選ぶことにする。
僕が片付けを通して一番学んでほしいと思っているのは『片付ける責任をとったときに、おもちゃで遊べるという権利が与えられる』ということだ。
もちろん、これは点検したわけではなく、僕が自分で思っていることなので、いいのか悪いのかはわからない。今度、勉強会に行ったときに意見を聞いてみようと思う。
僕が思うのは、『遊んだら片付ける』ってホントにそうかな?ということだ。むしろ、『片付けることができるから遊べる』方が、いいのではないかと思っている。いいというのは、子どもがこれから大きくなって自立し、社会に巣立っていくときに、学んでおいた方がいいことを伝えるのに便利ということだ。
つまり、自分にできる『責任』を果たした時に『権利』が与えられる。ということだ。
これは大人でも気づいていない人が多いのではないかと思う。つまり、子どものまま育った大人が多い。
僕たち大人も、もう一度考え直さなければいけないのではないか?
自分がすべきことはちゃんとする。それができて初めて、幸せに暮らすことができる。
親ももう一度考えてみる価値はあると思う。
なぜなら、子育ては子どもだけではなく
大人も一緒に育つのだから。
―おしまい―