なまけることがみんなのため。
アリとキリギリスの話って知っていますか?冬がくるまえにせっせと、食料を運んで働いたアリ。それと対照的にバイオリンを弾いて遊んでいたキリギリス。それで、いざ冬をむかえて、キリギリスはとても困ってしまったという童話ですね。
この童話、日本では「キリギリスのように遊んでいるといずれは困ることになる。だからアリのように一生懸命に生きることを選びなさい」という教訓にとらえることが多いと思う。
これは、大学の時に聞いた話だと思うのだが(うろ覚え)フランスでは「キリギリスは確かに冬になって困ってしまったが、自分のしたいことをして生きる道を選ぼう」という意味にとるそうだ。
野垂れ死に上等です。という感じですね。
あなたはどっちを選ぶでしょうか。
さて、アリの話で最近思ったことがあるんです。ちょっと聞いてもらえると嬉しいです。
アリって、みなさんどんなイメージですか?
僕のイメージは「働きアリ」といわれるように、せっせと食料を巣穴に運んでいるイメージがあります。つまりは、働き者というイメージですね。
それで、これもよく言われるのですが、その働きアリの中でも2割は働かないで、のこりの8割がせっせと働くという話って聞いたことがないですか?だから、2割の働かないアリの方が怠けているように思ってしまいますよね。
でも、これって本当に怠けているのか?って思ったんです。
ここで、自然界の状況を考えていただきたいのですが、アリを含めて、昆虫はつねに誰かに捕食される危険性があります。捕食じゃなくても、踏みつぶされてしまう可能性だってありますよね。
つまり、いつ殺されてしまうかわからないのです。
そんな中で、例えば、アリが100匹いて100匹がよく働くまじめな働きアリだったとします。そうすると、100匹のアリ全員に何らかの仕事があり、役割が与えられているということになりますね。
つまり、一匹でもかけてしまうと、そのアリ一族は生活が回らなくなってしまう。そう思いませんか?
僕は最近ふとそんな風に思ったんです。
しかし、実際は2割のアリが働かずに怠けてるっていうじゃないですか?これって本当に怠けてるんですかね。なんかそうじゃない気がします。
どういうことか。それは「2割の怠けアリは8割の働きアリが殺される確率を下げている」という見方もできないでしょうか?
2割の怠けアリには仕事が与えられていません。なので、自分がいなくなっても、アリ一族、全体から見るとあまり痛手にはならない。
ということは、少し悪い言い方をすれば「8割の働きアリのダミー」ともいえるわけですよね。
でも考えようによっては、「自分の命を投げ出して仕事をしない方を選んでいる」という風にも考えられます。仕事をしない代わりに命をかける。自分会えて仕事をしないことで、一族全体の生き延びる確率が少しでも上がる。
2割の怠けアリは、怠けているんじゃなくて
命をかけてなにもしないという仕事をしている
そんな風に思いました。
自分が働きたくないから仕事をしないんじゃなくて
一族全体のことを考えて仕事をしないことを選んでいる。
だから2割のアリは怠けているんじゃないんだと思ったんです。
「2割のアリが怠けている」なんて失礼なことを言ったのはだれでしょうか?そうです、人間です。人間の価値観をアリに押し付けると、2割のアリは働いていないから怠けているってなるんですよね。
大きな仕事をしていればえらい。
お金を稼げる仕事をしていればすばらしい。
でも本当に大切なことってどんな仕事をしているか?ではなくて、どんな心持ちで仕事をしているか?ということではないでしょうか?
自分の命を投げ出してでも種族全体のために、何もしていないことを選択したアリのように。
自分のことだけを考えて仕事をするのか。
他の人のことを考えて仕事をするのか。
大切なのは仕事ではなくて、人間です。
表面から見える価値観ではなく、肝心なのは中身がどうかではないでしょうか。
お金や、仕事の大きさなどの価値観で判断しない方がいいと思います。
だから僕は最後にこう言いたい。
アリだけにありのままを見てあげてください。
ーおしまいー