アンパンマンの必殺技はアンパンチじゃなくて、バイキンマンと仲良くできることだと思うよ。
このブログが僕の中ですごく面白かった。
それで、ブログを拝読させていただき、
「あっ、そろそろ、自分もパパとして、アンパンマンについて語らなければならないときが来たか。。。」
と勝手にそう思ったのだった。。。
小さいこどもなら、ほぼ、みんなアンパンマンが好きだろう。だが、悲しいかな、大人になると、それがどんな話だったのか忘れてしまうんだ。
僕は自分が小さいときに、アンパンマンを見た記憶がなかった。でも、そんなはずはない!だけど、僕はこう言いたい
「記憶にございません。」
あなたも、今話題の証人喚問で追及されたら同じように答えるのではないだろうか?
さて、アンパンマンってどんな話か知っていますか?そういわれても難しいだろう。だけど、アンパンマンの話って、大人になってから、改めて見てみると、どの話も(なんなら、絵本とかも)ストーリーは共通しており、しかも一言で言い表すことができる。それは
ということだ。結局はこの一言に尽きてしまう。そこに、肉付けとして、いろんなキャラクターが登場してくるんだ。
僕は、こども達とよくアンパンマンを見ながら思うことがある。それは
「アンパンマンを通してこども達に何を学んでほしいのか?」
ということだ。ちなみに、あなたならアンパンマンを通して、こどもに何を学んでほしいと思いますか?おそらく、多くの人はこう思うのではないか?
「悪いヤツはやっつけろ!」とか
「正義は必ず勝つ!」など。。。
確かにこれは正しいことだと思う。ただ、この考え方には一つ気を付けなければならないポイントがある。それは何かというと、
「正義か悪かを決めるのはだれか?」
「良い悪いを誰が判断するのか?」
という視点が抜けていることだ。
例えば、大人のあなたに少し考えてもらいたいのだが、車を運転しているときに、法廷速度40キロの道路を50キロで走るのは悪いことですか?
もう少し質問をタイムリーにしてみよう。
籠池さんって悪い人ですか?
どうだろう?
前者の例でいうと、明らかに広い道で、法定速度40キロをきっちり守って走ると、後ろの車が渋滞するかもしれない。これはいいことなのかわるいことなのか。。。
後者の例で言うと、ニュースでみる籠池さんの発言を聞いていると、まあ、言わんとしていることはわかる気がしないだろうか?
つまり、何が言いたいか?というと
「正義か悪か良いか悪いかは見る人によって変わる」
ということだ。
この視点がぬけて、「悪い奴はやっつけろ!」とか「正義は必ず勝つ!」ということが“正しいんだ”とこどもに教えると、おそらくこういう考え方になってしまう「自分は正しくて相手が間違っている。」と。。。さらに、間違っている相手には言葉の暴力や、それでも聞かなければ、物理的な暴力を加えても構わないと。。。
僕たち親がアンパンマンを通して学んでほしいことってそうじゃないはずだ。かといって、まだ保育園や幼稚園のこどもに、「何が正義で何が悪か」みたいな話って難しすぎてわからないと思う。っというか、大人でも難しい問題だ。
そこで、僕自身が考える、アンパンマンを通してこどもに学んでほしいことって何か?それは
「アンパンマンはバイキンマンが何もしないときはとても仲良しなんだよ」
ということだ。つまり、こども達には、バイキンマンというだけで、条件反射のように「悪いヤツ」と決めつけないで、まずは、そこを学んでほしい。これなら、子どもたちにも十分理解できるはずだ。
じゃあ、どうやってそれを学んでもらうか?これにすごく最適なシーンがある。それは、アンパンマンが放送されるとき、毎回映るシーンだ!!!今日はそれをご紹介しようと思う。。それはこのシーンです。
アンパンマンとバイキンマン、何もないときは一緒に仲良く、そして気持ちよさげにお昼寝をしているんですよ!
これは、僕がアンパンマンの中でいちばん好きなシーンだ。ちなみに、オープニングが終わった直後のシーン。
そう、そうなんだ。どんなに正反対に見えても、どこかで一致するはずだ!水と油がドレッシングになるように、正義と悪もどこかで交わり仲良くできるはずなんだ。
その一致点をアンパンチでなくコミュニケーションで探してほしい。それを教えるのも子育ての一つだと思う。ゆっくり、ゆっくりとね。。。
最後に、作者のやなせたかしさんが書かれた詩で
僕が胸を打たれた詩の一つをご紹介して終わりにしたい。
絶望の隣に
だれかが
そっと腰かけた
絶望は
となりのひとにきいた
「あなたはいったいだれですか」
となりのひとはほほえんだ
「私の名前は希望です」
こんな毒にも薬にもならないブログですが、シェアなど頂けると、アンパンマンの顔を濡らすことに成功したバイキンマンのごとく喜びます。。。
ハーヒフーヘホー