アドラーパパの家族会議。

家族の、家族による、家族のためのブログ

アサドリのブログ56

 

 

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おはようございます。
今日も一日が始まりますね。
今週は病んでいたのですが、今日は完全に復活という感じです。
もとの体調に戻ったといえば、そうなのですが
体調を崩してみることで、普通でいることがどれほどありがたいことか分かるきっかけになりますね。

自分が病気になったときって普通なことが普通じゃなく
特別だと感じることができます。
それは、自分が病気になることで、

まず、自分自身が、普通の自分ではなくなっています。
なので、普通の自分ではない自分が他の人と接すると
当然、自分に対する他の人の態度も変わりますね。

たいていは
優しくなるというふうに変わるのではないかと思います。

普段は、怒ってばかりの人が
自分が病気のときは優しくなるといった感じですね。

人って誰でも優しくされると嬉しいし甘えたいモノです。
病気という弱っているときはなおさらありがたいものですね。

だけど、ここで弱っているときは助けてくれることが当たり前になってしまうと、良くないのではないかと思うのです。

つまりは、自分が弱かったら、他の人が助けてくれる。
自分は弱い存在だから助けてもらえるのが当然だ。

こういうふうに思うようになると、自分から他の人の役に立つように行動したりできなくなってしまうのではないか。

そんなふうに思いました。

もちろん、本当に弱ってしまって動けないときは仕方がないのです。

しかし、そうでもないのに、自分が弱いことを利用して相手の優しさを引き出すという作戦はあまり良くないのではないかと思ったんです。

例えば、僕の場合で言うと、病気が治りかけのとき。

治りかけということは、まだ治ってはいないわけで、病気というふうに言うこともできます。
また一方で、もうほぼ治ったということもできますね。

今回、僕が病気をしたときも、こんな風に思う瞬間がありました。
それはつまり、病気という非日常な体験から
病気が治るという日常に戻るその瀬戸際。

その時に、
「もう少し休ませてもらおうか。」
と思いました。

しかし、そうすることは選ばず、
「自分にできることはしよう」
と思うことにしました。

自分への戒めの意味もこめて。

もちろん、治りかけのときに無理をしてしまうと余計ひどくなり
また、病気がぶりかえしてしまいますね。

それは避けなければなりません。

無理をせず、自分にできることをする。

だから僕は、自分がトイレに行った後に
便器の掃除をすることにしました。

掃除といっても、本格的に行うのは難しかったので

せめて、トイレ用のウエットティッシュみたいなやつで
便座や便器の回りを拭くことにしたのです。

これだと、他に家族に病気を移してしまう確率が低くなると考えたし
これぐらいだったら、自分にもできると感じたからです。

まぁ、何がいいのかはわかりませんが
病気になってから、そんなことを考えていました。

おかげさまで、今日は体調も復活しました。

今日からまた普通の男の子に戻ります(笑)

 

今日も幸せな一日を選択できますように。