マイ・ファミリー総合カタログ

家族や子育てについてのカタログ

らしい、話。

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会社で来々軒の話をした。普通の味らしい。らしいというのも、僕は来々軒に行ったことがない。家の近くに来々軒は“普通”にある。だが行ったことはない。その人によると来々軒は普通の味を提供することを選んでいるらしい

 また別の話で、その人がテレビで350万円のハサミを作る職人を見たらしい。350万円のハサミはその職人しか作れないらしい。ただ、さすがに普通のハサミとは全く別物らしいらしいというのも、僕はそのテレビを見ていない。だが、そのハサミは日本でただ一人しか作れないらしい

 このハサミは普通ではなく特別だ。特別だと特別扱いされる。ただ、買える人と買えない人が出てくる。このハサミは人を選ぶのだ。人もハサミを選ぶのだ。

 その点、来々軒のラーメンは人を選ばない。人もラーメンを選ばない。なぜなら、普通だからだ。普通であるか、特別であるか。どちらを選ぶかはあなたが決められる。

 

さて、あなた“らしい”のはどっちだろうか?

アサドリのブログ42

 

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おはようございます。
今日は風が強いですね~。
突風というか、ものすごく強い風が時折吹いています。
昨日は、息子が胃腸炎になりました。
最近はやっているようです。
朝、妻から
「息子が吐いた」
との連絡があり、病院に行ったところ胃腸炎だったようです。
病院の先生によると今、巷で流行っているようです。
しばらく様子を見るようにと言われました。 
みなさんも気を付けてくださいね~

昨日会社の人とこんな話をしました。

「今は家というものがどんどんなくなっていく。」

これはどういう意味の中で話したかというと
家を継ぐというようなことが少なくなったということです。

確かにそうだと思います。

昔だったら、長男が実家を継いでみたいなことは当たり前だったと思います。
しかし、今は、子どものほうから家を継ぐ気はない!と言われるようになったそうです。

例えば、県外の大学に行ったとしても
昔だったら就職は地元でしてゆくゆくは家を継ぐみたいな考えがあったと思います。

でも今は、県外の大学に行ったらそのまま県外で就職ということが多いのではないでしょうか?

今は県外の話をしていますが
これから、20年後。僕の息子が社会人になるころには

国外の話をしているかもしれません。

つまり、就職先が国外になっている
もしくは、転勤先が国外ということです。

その転勤先で結婚っていうことになったら

もう、家を継ぐとかそういう話ではない気がします。

それで僕自身はどうかというと
僕は家を継いでいきたいと考えています。

ただ、それを、自分の子どもたちに強制することはしません。

僕の意志として家というものは大切にしたいなぁと思っています。

こんなことは前までは考えませんでした。

しかし、いつのころからか
自分が家を守っていかなければならない考えるようになったのです。

自分がどういう風な時代の流れにいて
これからどういう風に生きていくのがいいのか?

こういうことを考える年齢になったとも言えると思います。

大人になったということですね。(笑)

あっ、でも、家を守ろうとしないから大人じゃないということではないですよ。

あくまでも、自分がどういう流れの中に生きていて
これからどういう風に立ち回るのが幸せか?

こういうことを考える年齢になったということです。

僕は、自分の家というものを守っていきたいし
受け継いでいければいいなぁと感じてます。

ということは、自分の両親もそうだし、ご先祖様にもそうですが

そういう、縁というものがあって
今の自分があるということが分かったということです。

伝統とか文化とか
今では古臭いと思われています。

現在の時代の流れを見ても合わないでしょう。

しかし、誰かが受け継いでいかないと途絶えてしまう

それが伝統とか文化というもではないでしょうか。

これは国レベルのものもあれば、個人レベルのものもあると思います。

レベルの大きい、小さいはありますが

自分のできることをやっていきたい。

僕自身はそう感じるのでした。

 

今日も幸せな一日を選択できますように。

夫婦生活という相撲部屋でぶつかり稽古をするのはおよしッ!

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恋愛と結婚は違う。それは野球とソフトボールぐらい違っている。なぜ違うか。それは恋愛はロマンを語り、結婚はリアルを語るからだ。だから、恋愛を経て結婚し夫婦生活を始めると"ぶつかる"ことになる。

 夫婦生活を相撲部屋に例えてみよう。相撲部屋では力士たちが寝食をともにする。そして食べる、寝る、ぶつかる、を繰り返す。「くうねるぶつかる」だ。これは夫婦生活も同じではなかろうか?食べる寝る以外はぶつかっている。違うのはぶつかるのが体か意見かだ。

 特に若いころは夫婦間で意見という"ぶつかり稽古"をして理解し合おうとするとする。しかし今思うのはぶつかり合って理解する必要はまったくない。じゃあどうするのか?「話し合って理解する」これが大事だ。これこそ付き合って16年。結婚して8年で気づいた夫婦生活を円満にする秘訣だと思っている。

 しかし、16年も経つと、ぶつかり稽古が足りないせいか、お互い力士のようなお腹になってきたのでごわす。

 

これがホンマの幸せ太り。

 

お後がよろしいかな?

子育ての答え合わせ

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 子育ては答え合わせが必要と思います。答えがあるということは、こちら側が一方的に正解を作り、それに子どもを従わせるのではありません。そうではなく、子どもと話し合いをする中で、見つけていくものです。

 子育ては、親が子どもに何かを学んでほしいと思い、それをどうやって協力的に学んでもらうか?ではないでしょうか?
「何を学んでほしいのか?」これを親が指針として持っている方がより子育てがしやすいと思います。

実際、僕は野田先生のアドラー心理学という指針を持っています。アドラー心理学の理論をきっちり学び、それに沿った育児ができているか?を自分の側で点検する。
決して子どもを変えようとしないこと。
そして、そこで学んだ指針に基づいて子ども自身がちゃんと学んでいるかどうか?を子ども自身に問いかけてみる。
そうやって大人と子どもが話し合いながら学んでいくことがアドラー心理学の面白さであり、醍醐味なんだと思いました。

 

勇気づけの方法 (アドラー心理学を語る4)

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劣等感と人間関係 (アドラー心理学を語る3)

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性格は変えられる (アドラー心理学を語る1)

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グループと瞑想 (アドラー心理学を語る2)

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アサドリのブログ41

 

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おはようございます。
今日は少し早起きして、家でブログを書いています。
少し早起きといっても現在3:35なんですけどね(笑)
だいぶ早すぎるやろ!っと。
ですがあと30分ぐらいすると家を出る準備をしなければなりません。
それまでお付き合いください。

何を書こうか?と思ったのですが、、、
そう、子育てって答え合わせが必要かなって思うんです。

どういうことか?というと、
自分が子どもにとった行動が
子どもにとってどうだったか?
これを確かめる必要があるということです。

自分がとった行動を確かめる?

どうすればいいのでしょうか?

誰に聞けばいいのでしょうか?

僕は現在アドラー心理学を勉強しています。
野田俊作先生のアドラーを勉強しているんです。

アドラー心理学は褒めることや叱ることをせずに
代わりに勇気づけをします。

勇気づけがどのようなことをするのかは割愛します。
もしご興味があればお近くで開催されるパセージを受けてみてください。

それで、子どもに対してはいつも勇気づけをするのですが

僕の勇気づけが子どもにとって勇気になったか?

僕の子育てで言うと、勇気づけになったかどうか?を確認することが

答え合わせになると思うんです。

さて、これはどうしたらよいでしょうか?

野田先生は講演の中でこのようにおっしゃられています。

「勇気づけになっているかどうかは、子ども本人に聴いてみるのがよい。」

僕はこれを聴いたときに、すごく納得しました!

そういわれると当たり前のような気がしますが、
それができていないですよね。

まさに、コロンブスの卵ですね!

子どもに対して勇気づけをするのですから
勇気づけられたかどうか?子どもに聞くのが一番です。

というか子ども本人しか答えを知りませんよね(笑)

なので、昨日は息子と一緒にお風呂に入る機会がありました。

せっかく男同士で入れたので
湯船の中で聞いてみました。

何を話したか?は僕と息子、二人の宝物にしたいので割愛しますが

話してみると

僕が勇気づけたかったことと
息子が感じていることが

全然違っていたということです。

というのも、昨日は息子の勇気づけにたいする反応で
少し気になる反応があったので

「ここだ!」

と思い勇気を出して聴いてみたのです。

そうすると、やはり僕と息子の間でズレがありました。

なので、僕が学んでほしかったことと
息子が学んだことにズレがあったので

それを話し合いによって修正しました。

もし、そのズレをほったらかしにしていたらどうなるでしょうか?

例えば、腰痛とか肩こりでもそうですよね?

多少の体のバランスが崩れるぐらいなら
筋肉が張ったり、すこし痛いぐらいで済むのですが

それをほっておくと
ある特定の場所に負担がきて耐えられない痛みとなります。

子育ても同じように

日々の共同生活の中で生じるズレをほおっておくと
どこかに耐えられないほどの負担がきて
爆発することになるんじゃないか?

そう思ったんですね。

家族といっても考え方も違うし、できることも違います。
だけど、それぞれ、みんなが協力して生活する中で
ズレが生じることはあると思います。

でも、ズレが生じてしまっても
それを、解きほぐしていけばいいんです。

話し合いという言葉のマッサージでね!

4:00になりました。

もうそろそろ準備の時間です(笑)

今日も幸せな一日を選択できますように。

 

 

勇気づけの方法 (アドラー心理学を語る4)

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劣等感と人間関係 (アドラー心理学を語る3)

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性格は変えられる (アドラー心理学を語る1)

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グループと瞑想 (アドラー心理学を語る2)

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吾輩はアメリカ人の汚い言葉が好きである。


 ここだけの話だが、アメリカの汚い言葉が好きだ。例えば「てめぇ~の汚ねぇ〇ツの〇にマシン〇ン〇ち込むぜぇ!」だ。2児のパパやぁ言うてるのに、アメリカの汚い言葉が好物である。もちろん、子どもの前では絶対に使わない。なぜなら、俺は日本人だからだ。だけど、アメリカ人の汚い言葉は好きだ。なぜかはわからない。

 そんな、アメリカ人の汚い言葉好きの34歳2児のパパである俺だが、今年に入ってから人生で一番好きなアメリカ人の汚い言葉に出会った。それはSPY(スパイ)という映画を見てからだ。その言葉は映画の終盤に出てくる。なんていう言葉か?特別に教えてやろう。それは「ペニコーン」だ。これを最初に見たときに腹がよじれるほど笑った。念のためもう一度見ても、腹がよじれた。

だけどよ「ペニコーン」だけ聞いても何のことかわからないだろう。一回、映画を見てみろよ!そしたら「てめぇ~のプヨプヨした締まりのねぇ腹もよじれるはずだぜ!」

 

SPY/スパイ  (字幕版)
 
SPY/スパイ (吹替版)

SPY/スパイ (吹替版)

 

 めちゃめちゃ面白いっ!

子どもには自転車に乗ることよりも、自転車にのるルールを教える。

 

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 自転車に乗れなくても死にません。ですが、自転車のルールを守れないと死んでしまうかもしれません。というのも5歳の息子は誕生日に自転車をゲットしたのです。
すると当然、乗るための練習をします。といっても、駒がついているので、自転車に乗る練習というよりは、自転車に慣れるという方が正しいでしょうか。
 

 子どもは興味があることは覚えるのが早いです。ですので、自転車に乗ること自体は慣れてしまいました。なので、乗る範囲を広げて、自宅から半径500メートルぐらいの範囲をぐるっと一周しています。
当然、信号がある場所や、車が来る場所も通ります。自動車免許で言うと、路上教習ですね♪それでふと思ったのは、自転車に乗れることは重要ではなくて、安全に乗るためのルールを教える方が大切だ!ということです。
 

 車ならどれだけ運転がうまいか?ではなく、「とまれ」で一旦停止できるか?のほうが重要ですよね?そう思います。

 

 

 これかっこいい!